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まさかアラサーにもなって、姉にきんたまの数を報告するとは。

これはおれが新潟の苗場で冬の季節労働をしていたある日の、風呂場での話だ。
お姉ちゃんから着信があった。

おれには姉がふたりいるが、「お姉ちゃん」と呼ぶのは5歳上の長女の方である。

おれは仕事で疲れた身体を寮の湯船の中で温めていた。
冬の苗場はよく冷えるのでこの時間がたまらないのだ。

風呂場ではOPPOのスマホから『オードリーのオールナイトニッポン』を流していた。
radikoのタイムフリー機能は、文明の利器である。

春日さんのフリートークのゾーンだったが、突然それは着信音に遮られた。
スマホの画面には「お姉ちゃん」と表示されていた。


おれは10年前、大学進学をキッカケに北海道の実家を出たが、お姉ちゃんは結婚して二児の母親となった現在も北海道に住んでいる。
基本的に仲は良いので、今でもインスタやラインで良くやりとりをする。(9割は甥っ子の話である。)

それでも、そのお姉ちゃんからいきなり電話が掛かってくることはかなり珍しい。
おれは少しだけ何だろうと考えてから、出てみた。

おれ「もしもーし」
姉「うん、もしもし。今何してる?」
おれ「仕事終わって、お風呂入ってるわ。」
姉「ああ、本当。掛け直した方がいい?」
おれ「や、大丈夫よー」
姉「そっかそっか」

おれは何か違和感を感じた。

いつものお姉ちゃんのトーンと違ったのだ。
明らかに元気がないし妙にモジモジしている。

おれは何となく察した。

昔から、お姉ちゃんの「それなりに真剣な話」をおれが聞くみたいなことは数年に一度くらいの頻度であった。
家族、恋愛、仕事の話など色々だが、両親でも同性の妹でもなく、末っ子のおれだからこそある種気軽に話せることがたぶんたまにだけあるのだ。

この電話は「それだ」と思った。
具体的なことはまだ分からないが、お姉ちゃんはいま何かに悩んでいて、おれに話を聞いて貰いたいのだ。

おれは自他ともに認めるシスコンである。
お姉ちゃんの話を全て受け止めよう。

こういう時だけ都合の良い正義感が湧いてきたりする。


お姉ちゃんは重い口を開いた。
「げんを病院に連れて行ったんだよね。」

おれはそれを聞いた時、一瞬固まってしまった。

「げん」はお姉ちゃんの子どもで、つまりおれの甥っ子でもある。
その電話があったとき、げんは生後半年も経っていない小さな赤ちゃんだった。

おそらくげんに何か大変な病気でも見つかったのだ、とおれは思った。
ショックを受けつつも一番キツいのはお姉ちゃん自身なハズだ。

覚悟を決めよう。
どんな話しだったとしてもおれは傾聴に徹するのだ。今おれが寄り添うのだ。


お姉ちゃんからの話をまとめると大体こうだ。

げんが病院で「乳幼児検診」というものを受けた。
これは赤ちゃんが問題なく成長しているかを確認する為の健診で、定期的に行われる。

その乳幼児健診で一つ問題が発覚したのだった。
なんと、げんの「きんたま」が、片方無いらしいのだ。

なるほど、確かにこれは”大ごと”だと思った。
男の子にとってそれは大事なものである。

しかし、確かに深刻なことではあるけれど、彼自身の命に関わることではないだろうし、きんたまが一つ無いからといって何も問題はないだろう、ともその時思った。

今は令和、世は多様性の時代である。
誰にだって身体的な特徴はある。ありのままでいいじゃないか。

確かに、成長したとき本人にとっては大きな問題になりうるとは思う。
母親であるお姉ちゃんが心配する気持ちももちろん想像出来る。

でも、今は小さな赤ちゃんでも、いずれは心身共に逞しくなっていき、自分の力でそれを受け入れていくはずだ。
こういうのは周りの大人があたふたせずに、どしんと構えるのが大事だと思う。

きんたまが一つだったとしても十分立派じゃないか。


ただ姉はそのまま続けた。

先生曰く、乳幼児のときはきんたまが身体の内側の方に上がって収まったままになっていることは良くあるケースだという。
その場合、成長と共にもう一つも下がって出てくるらしい。

そうでない(つまり本当にきんたまが一つしかない)場合は、また状況が変わってくるが現段階ではその可能性は低いので、「経過を見守りましょう」ということになったみたいだ。

「なるほど、そういうこともあるのか」とおれは、呑気に安堵した。
さっきまで、10行以上使い「きんたまが一つでも別に良いじゃないか!」と力説していたが、やっぱりきんたまは2個あるに越したことはないだろう。

甥っ子のきんたまの件については一旦落ち着いたが、そうなると疑問が生まれて来た。
なぜ姉はこんな話をずっと神妙にしているのだろうか。何かおかしい。

「その話をお母さんにしたの。」
と、お姉ちゃんは新しい登場人物を投入し、話を展開させた。

「お母さん」とは、お姉ちゃんの母親のことであり、もちろんおれの母親のことでもある。

お姉ちゃんはこの一連の”息子のきんたま騒動”から、「あること」を思い出し、その話をお母さんにしたのだった。


甥っ子のげんと同じように、おれが赤ちゃんだった頃、お母さんはおれのことを病院に連れて行った。
おれの成長に問題がないか、乳幼児健診をする為だ。

その日、そこに当時5歳のお姉ちゃんも一緒に連れて来られていたらしい。

おれたちきょうだいはみんな、『遠藤小児科』という札幌の小さな病院の遠藤先生というおじいさん先生にお世話になった。
切れ目がギョロっとしていたが、いつも笑顔で優しかったし、腕の確かな先生だった。

お姉ちゃんはそこでの、あるやり取りを思い出したのだ。
それはお母さんが、「赤ちゃん(おれ)のたまが一つしかないのだが、これは何かの病気なのか」と遠藤先生に相談をしていたという記憶についてだった。

なんと、おれとげんには全く必要ないであろうDNAがお揃いで備わっているらしい。
こんなことで人間の遺伝子の神秘を感じたくはない。

当時5歳の女の子だったお姉ちゃんは、それ以上詳しいことは理解出来なかったのか覚えていないらしい。
だが、子供ながらに「わたしの弟の大事なものが一つしかないということ」、そして「それを母親が遠藤先生に相談していたこと」は当時のお姉ちゃんにとってもそれなりにインパクトがあったのだろう。

お姉ちゃんはそのことを思い出し、「そういえばさ、こんなことあったよねー」的にお母さんに軽く話したのだという。

お母さんは最初、「そんなことあったかしら…」というリアクションだったらしいのだが、徐々にそれに身に覚えがあることを思い出していった。
そしてその時も「だいたい赤ちゃんが成長してくると、もう一つのたまも下がってくるからまた確認してあげてください」と言われた記憶があるような気がしてきたところで、お母さんはもっと重要なことに気づいたのだった。

それは、お母さんがその後、赤ちゃん(おれです)のもう一つのきんたまが下がって来たところを確認することをすっかり27年間忘れていたことだった。

これは一大事である。
つまり、”てつと”のたまは、未だに1つしかない可能性があるかもしれないとお母さんは焦った。
「わたしのせいだ…!」

急に焦るなら、忘れずにおれのたまの数を確認してくれれば良かったじゃないか。

姉「いやお母さん、流石に”あのてつ”だってもう大人だし一つしかなければ、気付いてるんじゃない?」
母「そうかな…」
姉「だって…学生時代は部活に入っていたし、色んな友達と温泉とかにも入るじゃん」
母「いや、でも相手はあのてつとだよ。アイツだったら未だに、自分のたまが一つしか付いてことがおかしいことに気づいてない可能性もあると思うの。」
姉「たしかにアイツならあり得るかも…」

なんて失礼な家族なのだろうか。
それに27年間息子のたまのことを忘れていた母親にとやかく言われる筋合いはない。

「てつのたまは今何個だ?」という、この世で1番アホな論争がおれの母親と姉との間で起きたことは悲しいかな事実である。

ここまで来てやっとおれは話の全体像が掴めた。
ははーん。なるほどな。こいつら。

姉「あの〜、そこでなんだけど…」

お母さんは、罪悪感から直接おれに聞くことが出来ず、お姉ちゃんを通しておれのきんたまの数を確認してきたのだ。
いつもは気が強く頑固者のお母さんのヘタレな一面が垣間見え、呆れ果てるしかない。

そしてお姉ちゃんはこともあろうに、お母さんのスパイだったのだ。

それが「きんたま」についてだったことと、きょうだいながら異性であった為に聞きにくく、死ぬほど周りくどい話しをしてくれていたのだろう。ただ、それを差し引いてもおれは言いたい。
「おれが純粋にお姉ちゃんと甥っ子を心配していた気持ちを返せ!」

姉「てつはその、、、何個ある?…今。」

おれは自分の股ぐらをじっと覗き込んでみた。
湯船の対流の中で揺れるぴかぴかのきんたまが2つ並んで、行儀正しくこちらにお辞儀をしていた。

おれ「あの…今確認しました。2個あります。」

姉「だ、だよね〜…!良かった〜!」

スパイは満足して、通話を切った。
この後、依頼人におれのきんたまの数を報告をするのだろう。

まさかアラサーにもなって、自分の姉にきんたまの数を報告するとは思ってもいなかった。
予想外の長風呂でおれの身体と2つのきんたまは真っ赤になっていた。

風呂から出たおれは、春日さんのフリートークを聴き直しながら、缶ビールをグビっと流し込んだ。
ポップの苦味がいつもよりちょっとだけ強く感じたことはいうまでもない。

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