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自分が分からなくなった時、本を読みまくれば自分の立ち位置が決まる。

人間は頭の悪い生き物で、生きていると何故か自分のことなのに、自分のことが分からなくなったりすることがある。
少なくともおれは自分のことが分からなくなってしまったことがあった。

この「自分が分からなくなる」という言葉は誰もが聞いたことはあると思うが、実在感を持って理解している人は少ないのかもしれない。
実際にそうなってみないと、どういうことなのかさっぱり分からないのだ。

おれは自分が分からなくなった時に、ひたすら小説を読んでいたら、抜け出せたことがあった。(漫画じゃないんかい!)
自分の体験をもとにそれについて考えて、書いてみる。

いま自分が分からなくなっている人、自分が分からなくなったことのある人、これから自分が分からなくなる予定があってその時のために知りたい真面目な人などに読んで貰えたら嬉しい。




就活の頃からだんだんと自分は何をやりたいのか分からなくなっていって、脅迫観念みたいなものを強く感じるようになっていた。
「何をやりたいのか分からない」というのはまだ良い方で、それがもっと進んで、「自分のことが分からない」になってしまった。

(就活に関しても、色々と思うことがあるので、それはまたどこかで書きたい。)

悩み始めると、それで頭が埋め尽くされて、家族のこと、恋愛のこと、仕事のこと、友達のこと、趣味のこと、気づいた時には全部わからなくなっていた。

就活が終わって、会社勤めになってからも自分のことが分からず不安は消えなかったから、いろんなことをがんばった。
がんばっていたら疲れてしまった。

そんなある日、いつも通り電車に乗りながら、スマホで音楽を再生してみた。
明らかに何かがおかしい。

音は聞こえるし、メロディーがあることも分かるのだが、ただの音の羅列みたいに感じてしまった。
音楽を聴いているのに感情が全く動かなかった。

この曲つまんねえなと思うことはあっても、音楽を聴いて感情が動かない感覚を持ったのは初めてだった。
アナログテレビのスノーノイズ(ザーってなるやつ)を聞いているような感覚だった。

そのことがすごく気持ち悪くて、怖くて、そうすると次は世の中の全部に責め立てられているような気分になって、すぐにイヤホンを外した。
眩暈がした。

その時初めて、このままでは自分が壊れてしまうと気付いて、それからおれはもう全てのがんばることを手放した。
情けなく手放すしかないみたいな感じだった。




がんばることのかわりになんとなくの気持ちで始めたことがあって、それは読書だった。

そういえば、しばらくちゃんと読書なんてしていなかった。

小さい頃にお母さんがしてくれた読み聞かせから始まって、小学生の時は学校の図書室に通いつめ、中学生の時は、読んでも分りもしない文豪の本をカッコつけて読んでみた。

本はそれからも読んでいたが、だんだん部活が忙しくなってからは、没頭して読むことは少なくなっていた。

そうだ、おれ本が好きだったじゃないか。
バカみたいな話だけどそんなことですら、希望みたいに感じられた。

その時は生きてるだけで辛かったから、いろんなことを考えたくなかった。
自分にとって、本の世界に集中することは、自分のその時の暗い現実の世界をシャットアウトすることと同じだった。

久しぶりに読書をしてみると、精神的にどハマりしてそれから夢中で小説を読み漁った。
本を読むのはすごく遅いが、それでもその時期は月8冊とか多い時は10冊くらい本を読んだと思う。

寝る時間と、仕事をしている時間以外は、比喩ではなく本当に全部本を読んでいた。

「生きてるより死んだ方がラクかも」とか良くありがちなことを真剣に考え始めていたような時期だったから、もう必死に、本当にすがるような思いで文字を追って、ページをめくって、本を読んだ。

その頃の自分にとっては、小説がまさに聖書であり、救いを求めて本を読んだ。
なんか新興宗教とかにハマってしまう人の気持ちがその時ちょっと分かった気もした。

あれだけのエネルギーをかけて、本を読むことはそれまでなかったし、今後もなるべくならもうしたくない。

特にその時期に助けられたのは、吉本ばななと西加奈子だった。

2人の小説の中には、自分と同じようにシンドそうな人や、自分よりシンドそうな人がたくさんいた。
周りと折り合いがどうしてもつけられない「ヘンな人」がたくさんいた。

その人たちの物語や言葉におれはひたすら集中した。




人は「関係性」の中でしか、自分や物事を理解出来ない。

この世に人間が1人しかいないとする。

その人の背は高いだろうか?低いだろうか?
その人は優しいだろうか?悪い人だろうか?

そのことについて、その人がどれだけ自分をじっくり観察してみても、考えてみても、答えは出ない。
自分しかいないのだから。

他の人が自分よりも背が高ければ、自分は「背が低い人」だし、自分よりも他の人が悪い人であれば、自分は「良い人」なのだ。

人は自分以外の誰かがいて始めて自分のことを少し理解できる。




そして、「自分が分からない」ってことについて考えてみる。

多くの人は自分のことを深く考えれば、自分を理解することが出来ると勘違いしている。

でも自分が分からないとはつまり、「自分ってどういう人だろう?」って自分のことばかり考えてしまっている状況なのだとおれは思う。

それってさっきの、この世に1人しかいない人が自分について一生懸命考えているのと同じだ。
自分のことなんていくら考えても、自分のことは分からないのだ。

自分のことだけずっと考えていると、ずっとその苦しみからは抜け出せない。
だから、他人のことを考えた方がよっぽど良い。

ただ、自分が分からない時は、すごく疲れていて、他人のことなんて見たくなかったりする。
実際の人間関係っていうのは、けっこう面倒くさいものだし疲れる。

だから、本を読めば良いのだ。




本を読むというのは、他人のこと(登場人物のこと)を考える行為だ。
そして、他人のことを考えることとはまさに、自分のことを考えることだ。

でも別にそれも疲れるから意識なんてしなくていい。
人間は頭が悪いけれど、上手く出来ているのだと思う。
本を読んでいれば無意識に自分のことが分かってくるはずだ。

「主人公はビールが好きだけど自分はハイボールの方が好きだ」とか、「主人公と同じくらい自分は今不幸だ」とか、「主人公のひねくれた性格に比べれば自分はまだマシな方だな」とか。

そしてとにかくたくさんの本を読む。たくさんの登場人物に触れる。

すると徐々にではあったが、おれは自然と自分の立ち位置が決まっていった。
少しずつ地に足がついて行く感覚があった。

自分のいるべき場所が何となく分かると、心にはグッと本来の強さが戻ってきた。

おれは頭が悪いのでたぶん、また自分のことが分からなくなって、いろんなバランスを失うこともこの先あると思う。
それは正直とても怖いことだ。

でも、それでもきっと大丈夫だと信じている。
本を読む人は強いとおれは信じているからだ。

また、本を読めば何回でも自分を取り戻せるはずだ。

本には、他人がいる。
つまり本には、自分がいる。

自分を読んでみよう。




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