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誕生日がちょっと苦手です。

つい先日誕生日を迎え、26歳になったのだが、いまだに誕生日との向き合い方が分からない。

誕生日というのはとても厄介だ。
祝われるのは嬉しいんだけど、すごく恥ずかしい。

ちょっと苦手だ、といってもそんなに間違いじゃないと思う。

誕生日っていうのは、一般的にめでたいことだから、苦手だなんて誰かに打ち明けたことはこれまでない。
だけど、意外と同じように感じている人って一定数いるんじゃないかなと思ってる。

他人の誕生日は素直に良いものだと思うし、祝うもの好きだ。
問題は自分の誕生日だ。

面と向かって人に「誕生日おめでとう。」って言われる時がとても困る。

「誕生日おめでとう。」ということはつまり「あなたが生まれて来たことは世の中にとって素晴らしいことだ。いやーめでたい!誕生日おめでとう。」の略だ。

おれが生まれて来たことは素晴らしいことなのか。

たしかにおれは2人の姉の下に末っ子長男として生まれ、しかも親戚の中でも唯一の男の子だったので、大変可愛がられて育って来た。
それゆえ、天性の末っ子力を遺憾なく発揮し、頼り甲斐こそないが友達、先輩、後輩、周りの大人たちとは基本的に、うまく付き合って生きている。

思いやりとかもそれなりにある方だと思う。
でも、おれが生まれて来たことが本当に素晴らしいことなのかはもうちょっと冷静に考えたい。

末っ子体質ゆえに、おれは責任感がとても弱い。
何か失敗しても、謝れば許されるのではないかといつも考えている。

さらに末っ子は、悪戯っ子でもある。
小さい頃から数々の悪事を働いては、家族や学校の先生に追っかけ回された。

勉強も全然出来なかったし、運動神経も悪い。
記憶力も悪ければ、方向音痴で、計算も出来ないし、出かけたときはおしっこがすごく近いし、夜にカフェインを飲むとすぐ眠れなくなる。
腰痛持ちだし、フリーターでお金もないし、家族にも友達にも心配を掛けてばっかりだ。

うーん。
やっぱりこんなやつが生まれて来たことなんて、そんなにめでたいことじゃないような気がして来た。





誕生日の中で1番苦手なことは、サプライズで祝われることだ。

大学生の時、誕生日にその当時付き合っていた彼女にご飯を奢って貰ったことがある。

お店も「大学生カップルがちょっと背伸びをしてみました。」みたいなお店に行った。
いつも通りくだらない話をしたと思う。
ご飯も特段おいしいというわけではなかったけど、そんな所も含めてとても幸せな気持ちだった。

そろそろお腹もいっぱいになって来たかな〜という所で、事件は起きた。

店の奥から頑張って無理やり抑揚をつけた「ハッピーバースデートゥーユー」が聞こえて来た。
アルバイトの男性が、小さな花火みたいのがパチパチ光っているロウソクが刺さったケーキを持って来た。

(わ、これっておれがいつも心の中でバカにしてるヤツだ!)
まさかおれが彼女に誕生日ケーキサプライズをされるなんて、不覚だった。

そのバイト店員は、(こんなことをしても時給が上がるわけじゃないのにと)形式的に、投げやりな笑顔を作っている。
そんなことなら最初っから真顔の方がまだマシである。やめてしまえ!

彼女の方を見ると、「ふふふ、びっくりしたでしょう。」と可愛らしい表情でこっちを見ている。
「う、うわー!びっくりした!」とおれは必死のリアクションで応戦。

こうなるともう完全に誕生日を楽しむとかではなく、誕生日を祝われてる自分を俯瞰してしまっている。
これは良くない。

昔から思っていたけど、誕生日ケーキを前にしてハッピーバースデイトゥーユーを歌われる時間もちょっと苦手だ。
何より歌われてい間の、手持ちぶたさ感というか無防備感ったらありゃしない。

うんちをしているところを見られる時の犬くらい頼りない気持ちになる。

顔もしんみり嬉しそうな顔をすればいいのか、ニコニコ笑えばいいのかとかも難しい。
毎年そんなことを考えて、どっちつかずな表情をしてしまい、その答えが出る前にハッピーバースデイトゥーユーは終わってしまう。

顔は固まってしまい、表情筋が完全に迷子になっている。

無感情のアカペラが終わると「写真をお撮りしますか?」と言って来た。
「うるさい!余計なことをするな!それもこの店のオペレーションなのか?そんなことをしてもやっぱり時給は上がらないだろ!やめろ!」

おれの心の声も虚しく、とびきり楽しそうな彼女は店員にカメラを渡す。

やばい!ここは彼女の為にもうまく笑顔を作って、素晴らしい写真を残さなければ!
でも笑顔は自然になるものであって、意識するとうまくいかないのだ。

普段は普通に飲み込んでいる唾液も意識しだすと、いつも無意識でどうやって飲み込んでたんだっけ?となるのと同じシステムである。
そんなことはどうでもいい…笑顔だ、笑顔!

店員さん、さっきは形式的な笑顔だなんて失礼なことを心の中で言ってすみませんでした。
形式的でもなんでもいいからおれにそのやり方を教えてください。助けてください。

「はいチーズ!」

写真の中のおれの顔は思いっきり引きつっていた。





誕生日の日にもう一つ厄介な問題がある。
SNSで「今日は自分の誕生日です!」って言うか、言わないか問題だ。

誕生日です!と言った場合、「うわ、こいつ自分から誕生日ですって言ってる。よっぽど自分に自信があってナルシストで、自己顕示欲の強い人間なんだわ!」って思われたらどうしよう。

さらに怖いのは自分から誕生日です!って言ったのに、誰も反応して貰えなかった時だ。
もう痛々しくって見れたもんじゃない。

じゃあ、自分が誕生日だって言わなければいいじゃん!
そう言う人は何も分かっていない。

たしかに、誕生日を自分から宣伝しなければ、リスクは最小限に抑えられえるかもしれない。
しかし、誰にも祝って貰えない可能性はぐんと上がる。

そう、誕生日を祝われることは苦手だが、それが全くのゼロであっても悲しいのだ。
自分でもびっくりするくらい厄介な性格だ。

さらに誕生日を宣伝しないと逆に、「こいつ、いい年をして自分の誕生日を自分から宣伝することが恥ずかしいと思っている自意識過剰な痛い奴だ。」とも思われかねない。

1番かっこいいのは、自分から宣伝しなくても、フォロワーさんたちが気づいてくれて、たくさん祝ってもらい、それに対してさらっと「みんなありがと!嬉しいよ!」なんて言える人だ。

でも、自分はそんなに徳のある人間じゃないので、向こうに気づいてもらって祝ってもらうという作戦は難しいだろう。

そんなことを今年の誕生日の3日前くらいからぐるぐると考え、当日の昼頃に痺れを切らして、自分から宣伝をした。
しかも、恥ずかしさを隠す為に自分と同じ誕生日の新垣結衣をダシに使って「ガッキーだけじゃなく、おれも褒めてください」と、「自分の誕生日を利用したギャグですよ」みたいな感じで宣伝した。

おれのフォロワーさんたちは優しいので、みんな「おめでとう!」とコメントをしてくれて、なんとかことなきを得た。





こんな感じで、毎年誕生日の時期になるとちょっとだけ冷や汗を書く。

昔から何か偉いことをして褒められたみたいなことが少ないから、自分が主役になって正式に祝われることが慣れなくて気持ち悪いのだと思う。

なので、来年の6月11日の誕生日はそっとしておいて欲しい。

そう6月11日だ。
ガッキーと同じ誕生日の6月11日。

そっとしておいてください。
おめでとうとかも大丈夫です。

6月11日です。
そう、6月11日、、、

押すなよ。押すなよ〜。



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ふだん、Uber eatsで生活費を稼ぎながら創作活動しているフリーターです。

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