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好きなことは「見つける」よりも「選ぶ」。

最近、「好きなことを見つけて仕事にしよう」みたいな言葉をかなり良く耳にするようになった。
正直、おれはこの言葉があまり好きじゃない。

たしかに好きなことがあってそれが仕事になったら、それはもちろん素晴らしいことだ。

ただ、おれはこの言葉が社会の中に一種のしんどさを生み出している側面もあると思う。
「好きなことを見つけなきゃ」とか、「好きなことがない私はダメだ」というしんどさだ。

しんどさが生まれているのは、ここで使われる「好きなこと」という言葉がちょっとヘヴィ過ぎるからであり、それは「仕事」と「好きなこと」が必要以上に結びつけられていることが原因だと思う。

その「好きなこと」とは、人よりも得意で、時間も忘れて集中して、お金なんか貰わなくても、仕事にならなくても突き詰めたいもの、そしてそれでも仕事にしたいほど好きなもの。

つまり揺らぐことのない「強い好き」なのだ。

「強い好き」を持っている人は正直カッコいいし、キラキラしているし、称賛されがちだ。

でも、その一方でささやかな「小さな好き」は、軽く扱われてしまうことが多い時代なんじゃないだろうか。




おれは良く周りの友達に「好きなことがあって羨ましい。私は好きなこと何もないなー。」なんて言われることがある。
そして、おれはいつも返答に困る。

おれは漫画や文章を書いて、好きなことを好きなようにやっている。
だから他の人からするとおれは「強い好き」を持った「キラキラしてる人」側に見えることがあるのだと思う。

「好きなことがあって羨ましい。」と笑いながら言ってくる友達の表情の中にはちょっとした罪悪感みたいなものを感じる。

だけど、おれは強い好きを見つけてなんかいないし、見つけている途中なのだ。
むしろおれにはその「好きなことを見つけよう」という言葉に散々苦しめられた経験がある。

おれは漫画家になるのをキッパリやめようと思った時期があった。




おれは学生時代から、漫画をずっと自分の「強い好き」だと思っていた。
そしてだからこそ自分は漫画家を目指しても良いと思った。

自分は、「好きを見つけた側の人間」だと思っていたのだ。

小さい頃から漫画を読むのも好きだったし、絵を描くことも好きだった。
だから中学生の時から、自然と漫画家になりたい気持ちを持つようになった。

ただ、漫画を描いたことはずっとなかったので、会社員をしながら漫画を描いて、新人賞に応募しつつ漫画家を目指そうと思った。
仕事をすることは嫌いじゃなかったが、自分のしたいことではなかったし「好きなこと」ではなかった。

社会人一年目、持ち込みに行くために漫画をはじめて描き始めた。

今思うと当たり前の話なのだが、初めて描く漫画は全くと言って良いほど描けなかった。
最初は描くためにどんな道具が必要なのかも分かっていなかったし、テーマの見つけ方も、キャラの作り方も、ストーリーのまとめ方も何一つ分かっていなかった。

「あれ?おれ漫画を描く才能ぜんぜんないじゃん。」

慣れない仕事や、初めての1人暮らしの状況も重なって、だんだん描けない漫画を描くのがツラくなっていった。
そして自分の「強い好き」が音を立てて崩れていくのを感じた。

漫画が上手い人たちはみんな小さい頃から漫画を描いていた。

その人たちに取って漫画は絶対的な「強い好き」なのだと思った。
そういう人たちが、漫画を突き詰めていくし、面白いものを描くし、売れていくのだろう。

漫画が「強い好き」である人たちは漫画を描く権利とか、必然性があるように見えた。

おれなんかが漫画家を目指してはいけないと思った。
「強い好き」(と思い込んでいたもの)を手放すことはとても怖かったけど、もう漫画を描く気力も残っていなかった。

その時おれは漫画家を目指すのはもうキッパリとやめようと思った。




漫画家になる夢を諦めて、そして漫画を描くのをやめて、半年ぐらい経つとだんだん気持ちが楽になってきた。

そして本当に情けない話なのだが、そうするともう一度、漫画を描きたいという気持ちが自分の心に戻ってくるのを感じた。

でも、おれはもう一度漫画を描いても良いのかすごく悩んだ。

なぜなら、おれにとって漫画というのは、「強い好き」ではないことを思い知ったからだ。
描くことはとても面倒だし、上手くいかないし、苦しいし、シンドいことだとこの時はもう分かっていた。

でもそこにはたしかに「好き」があった。
それは「強い好き」ではなく、「小さな好き」だった。

それは強くないし、キラキラもしてないし、ボロボロで今にも壊れそうな「小さな好き」だった。
でも、おれはその「小さな好き」を大事にしようと思った。

決して「強い好き」とは呼べないけど、それでも手元にある「小さな好き」を選んでみようと思った。
漫画家になるという夢を、「見つける」のではなく「選ぼう」と決めた。

絶対的な「強い好き」っていうのは、おれと同じようにたぶん多くの人は持っていない。
でも、それでもいいじゃないか。

なかなか見つからなくても、おれたちは「小さな好き」を選ぶことくらいは出来るかも知れない。
選んで、出来るところまでやってみれば良いのだ。




「小さな好き」を選んでから、2年くらいの時間が経った。
そして最近、自分の中で少しずつ変化が起きてきた。

漫画を描いて、それを持ち込みに行って、漫画を勉強する講座を受けて、少しずつではあるがSNSで漫画を読んでもらえるようになった。
そしてその漫画が自分でもびっくりするくらい大手のニュースサイトに取材されて記事にされたりもした。

いろんな人に褒めてもらって、素直にとっても嬉しかった。

そして選んだ「小さな好き」が、もう一度「強い好き」にちょっとずつ変わり始めているのを感じている。

まだまだ「強い好き」ではないかもしれないし、何かの拍子に簡単に吹き飛んでしまうくらい「小さな好き」かもしれない。
でも、昔の盲目的な「強い好き」よりも、今の不確かな「小さな好き」の気持ちの方をずっと信頼している。

なぜなら、自分で選んで自分で育ている「小さな好き」だからだ。

「強い好きを見つける」ことだけじゃなくて、「小さな好きを選ぶ」道だって間違っていないんだと自分で証明して見せたい。

だってこのままじゃ「強い好き」を持っていない人が窮屈な世界のままだ。
そして、そんなのはイヤだと思う。




ずいぶん遠回りしていろいろ書いたが、「好きなこと」が見つからなくて、モヤモヤしていたり、しんどい思いをしていたり、自分はダメなんじゃないかと思っている人がもしいたら、声を大にしておれが「そんなことないぞ!!!!」と言いたい。

強い好きはなくたって別にいいし、見つける必要もない。

好きなことを仕事にしていなくたって、誇らしい。
毎日胸を張って生きて良い。

それでも好きなことをしてみたいと思う気持ちがあるなら、手元にある「小さな好き」を断定的にその時選んで、その道を進んでいけば良いと思う。

それが「強い好き」になるかもしれない。
もしかしたらやっぱり「小さな好き」のままかも知れないし、好きがもっと小さくなっていってフッと消えていくかも知れない。

それでも、もう一度手元にあるものを選びなおせば良いんだと思う。
大事なのは自分で選ぶことだ。

不確かでも大丈夫だ。

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望月哲門(漫画家)
最後まで読んでくれてありがとうございます! ふだんバイトしながら創作活動しています。 コーヒーでも奢るようなお気持ちで少しでもサポートしていただけると、とっても嬉しいです!