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「おれはきっとマンガ家になる。」
「マンガ家」という職業をはじめて意識したのは、14歳のときだった。
当時通っていた塾の棚には、生徒が休憩中に読む用のマンガがたくさん置いてあった。
マンガ好きだったおれは授業よりも、この休憩中のマンガの為に塾へ通っていたといっても過言ではない。
気になっていたマンガを一通り読んでしまったおれは「次は何を読もうか」と迷った。
そしてタイトルだけ何となく知っていた『スラムダンク』というマンガを手に取ってみた。
正直いって世代ではなかったので、中学生のおれからすると「昔流行ったバスケマンガらしい」というような認識だった。
それでもいつか読んだ方が良いんだろうなというマンガ読みとしての半ば義務感みたいなものがあった。
それがスラムダンクとの出会いだった。
義務感で読みはじめたそのオレンジ色の背表紙のマンガはびっくりするほど面白かった。
それからおれは毎日夢中になって読んだ。
スラムダンクは、人間というものが力強くリアルに描写されていた。
それは今まで読んだどんなマンガとも明らかに違った。
まさに、マンガの中のキャラクター達が生きているようだった。
そうやって塾でスラムダンクを読み進めていたある時、妙な感覚に襲われた。
「おれはきっとマンガ家になる。」
「おれはきっとマンガ家を目指す。」
それは「マンガ家になりたい」という願望でも、「マンガ家になるぞ」という決意でもなかった。
そして、それは言葉でも意思でもなかった。
なぜか、なんとなく、でもハッキリとした感覚だった。
無理やり言葉にするとそれは、将来おれはマンガ家になるだろうという予感だった。
マンガを読むことも、絵を描くことも好きだったが、それまでは「そういうこと」を職業にしようとか、したいとか思ったことは無かった。
遠い世界のことだと思っていたのだ。
カッコつけた言い方になるが、「啓示」だとか「悟る」だとかそういうものに近かったように思う。
おれはそんな感覚に強く興奮している自分を俯瞰しながら、ページをめくり続けマンガに没頭した。
自分の外の世界の感覚がなくなり、時間がスローになった気がした。
全身がある種の全能感に支配された。
それはとても不思議で面白い時間だった。
後にも先にもこういう体験はない。
スラムダンクを読むことに強く集中しているうちに、ゾーンみたいなものに入っていたのかもしれない。
もしかすると何かの勘違いだったのかもしれないし、14歳だったのでまさに「中二病」の症状だった可能性もある。
今となっては「あの体験」が何だったのかは全く分からない。
ただその日からおれの夢が「マンガ家」になったことだけは、たしかだ。
今思い返すとそれからおれは「うまくなる為」に絵を描くようになった。
当時はガラケーだったが、マンガ用のネタをメモしたり、設定やプロットみたいなものもたまに作るようになった。
それでも肝心の「マンガ」をちゃんと描き出したのは大学を卒業した22歳の頃だったので、自分のマイペース加減には呆れてしまう。
そして結果的に、29歳になった現在もおれはマンガを描くことを続けている。
ありがたいことにエッセイマンガで小さな連載を持ったこともあるし、現在はマンガの案件仕事をいくつかしている。
でも正直にいうとまだまだマンガ家になった気はしていない。
いつか振り返って「マンガ家になった」と思えればそれでいいだろう。
そしてその時おれはきっとはじめて14歳の頃のあの記憶を伏線回収するのだ。
スラムダンクを読みながら感じた、あの時の不思議な感覚を頼りに今もマンガを書いている。
ような気がする。
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