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続けるために、「習慣化」よりも大事なこと

今回、ものすごく久しぶりに文章を書いた。

なぜしばらく文章を書いていなかったかというと、ある日お風呂場でiPadを滑らせ湯船に水没させてしまったからだった。
限界貧困フリーターの漫画家なので、他にパソコンも何も持っておらず、完全に創作手段を失ってしまった。

iPadを直したり再購入するお金も、そのお金を作る為に働きまくる体力もなく、しばらく創作手段が無かった。

そして、なぜ今久しぶりに書いているのかというと、何とか金を貯めてiPadをやっとの思いで再購入することが出来たからだ。

iPad Pro第四世代12.9インチ256GBwifiモデル。
鬱持ちのフリーター、吉祥寺のじゃんぱらで10万9千円、決死の現金一括購入である。

これがさくらももこ先生の漫画だったら、「あたしゃもうどうなっても知らないよ!」と大袈裟に叫んで清水寺の舞台から飛び降りる大ゴマにでもなっていたことだろう。


おれは2020年3月頃まで、いくつかの飲食店で現金即日払いの単発バイトを掛け持ちして、リアルその日暮らしをしていた。

しかしコロナの感染拡大による緊急事態宣言の発令によって、月のシフトが本当にゼロになって、そして当たり前だが収入も本当にゼロになった。
その月から家賃も、食費も、光熱費も、奨学金も、通信費も、住民税も、年金も、保険料も、払う目処がいっさい立たなくなったので借金をした。

借金をしたら焦った。

取り戻す為にと、無理をしてたくさん働くと元々持っていた鬱が悪化して、吐いた。
身体の全部がダルかった。

そこから3ヶ月ほどほとんど動けず、仕事が出来なくなってしまった。(27歳になるが、自分のバランスを取るのが下手すぎて泣きそうだ。)

その間の生活費を工面する為に、さらに借金をした。
気がつくと借金はいろいろ(本当にいろいろ)増えていた。

借金は、する時も返す時も何かがすり減ることを学んだ。

そんな状態だから、作品を創る心の余裕も、体力の余裕も、時間の余裕も無かった。

そんなある日、しょうがない話なのだが、お風呂でiPadを滑らせ水没させてしまった。
(湯船に浸かりながらiPadでNetflixは、ダメ。ゼッタイ。)

でもおれは、iPadが水没し創作手段を失ったとき、心のどこかでホッとしている自分がいることに気づいていた。
本当は書くのがしんどかった。描けないのがキツかった。

生活をするのもギリギリで、精神的にも余裕が無かったと思う。
だから自分にとってはiPadが水没した時、「創作手段がない」という大義名分を手に入れて「助かった」と思った。

ちゃんと創作活動を出来ていない罪悪感から一時的に逃げられた気がした。

漫画家を目指してからそんなに長い月日は経っていないのだけれど、基本的にいつでもいろんなことがギリギリなのでこんなふうに「描けなくなる時期」はもう何度もあったように思う。



漫画というものを描きはじめた頃、「漫画が上達する一番のコツは習慣化だ」という意見を良く耳にした。

全く持ってその通りだと思った。
そしてこれは漫画だけでなく、あらゆることに対して言えることだと思った。

漫画でも、文章でも、勉強でも、スポーツでも、料理でも。

たくさんやらないと上手くならない。
たくさんやる最大のコツは、「毎日やること」だ。

例えば、多くの人に取って歯磨きを毎日することは苦でない。
それは習慣になっているから、らしい。

描かないと上手くならない。
「漫画家になりたいな〜」といくら心の中で強く思っていても、なかなかそれだけで漫画家になれる人はいないみたいだ。

習慣化が大事だということを知ったピュアなおれは毎日1ページ漫画を描いた。
反応は少なかった。

一日1ページ漫画は思った以上にキツかった。
それでも、たぶん3ヶ月くらい描き続けた。

「習慣化」というのが結果論だとしたら、おれは3ヶ月の習慣化に成功した。

しかし、おれはある日また描けなくなった。
体力とかメンタルとかモチベーションが保たなくなったのだ。

おれに取って、漫画を書くことは歯磨きではなかったようだ。

習慣化は手段であって、やっぱり目的ではない。
目的は「面白い漫画を描けるようになること」だ。

そして、漫画を描きたいのは、他でもなく「漫画を描きたいから」だ。
習慣化をしたいから漫画を描くのではなく、漫画を描きたいから習慣化するのだ。

そこを履き違えてはいけない。



ある程度、iPadを買う資金に目処が立った頃、一番最初に書くテーマは自然と決まっていた。
いつか書きたいなと思っていたが、これ以上に適切なタイミングはないと思った。

今なら書くテーマに対して気持ちとか熱を込められると思った。

創作手段を失う前の、「iPadがあるのに描けない期間」、おれはとってもしんどい気持ちだった。
そしてiPadがなくて物理的に描けない時期も、なんだかんだそれなりにしんどかった。

それでも、「また作品を作る」という気持ち自体は折れることはなかった。

それはコジママユコさんという知り合いの漫画家さんが昔つぶやいたあるツイートが心にずっと残っていたからだ。

“「続ける能力」というのは、毎日コツコツやる能力というよりも、ガッツリサボった後にしれっと再開する能力ではないかしら。わたしはこれで6年続いている。(続いていると言い張ることが大事です)”

「しれっと再開する能力」

軽はずみなことを言うとこの言葉に救われる思いだった。

習慣化はいい事だがある種、「続けないと、という罪悪感を人質に取った行為」でもあると思う。
うまくハマる時期には、とても力強いが、体力や生活が追いつかない時には諸刃の剣である。

書けない時期は何度もあったし辛かったけど、それでもこの言葉が心に残っていたから「よし、おれはまた絶対にしれっと書き始めるぞ〜。」と思った。

いくら習慣化していても、おれは書けなくなる時がきっと来る。
タフなクリエーターさんは周りにたくさんいるし、現実にトップと言われる人の多くは、センスや技術以上にバケモノ的体力を持っていたりする。

それと比べるとおれは全然タフじゃない。
根性でどうにもならない世界があるということを今は知っている。

じゃあ並以下のおれがどうやって戦うか。

描けなくなったら、シンプルだがまたもう一度書き書きはじめればいい。
描けなくなったとしても、何度でもまたもう一度しれっと描き始めるのだ。

書けなくなった時、また書けば終わらない。

自分でちゃんとまたしれっと描き始めるのだ。



ただ、、、ただ、ここまで書いておいておれはもう一度その上で「習慣化」の大切さも痛いほど感じている。

この「漫画」の業界の中で、ちゃんと生き残っていく為に、おれはこれからたくさん創作していかないといけないからだ。

漫画家としてやって行くのはもうとっくに決めている。
迷いもぜんぜんない。

でも食っていく為には売れていかなければいけないし、たくさん書いていかなければいけない。
(書きたいテーマはたくさんある。)

作品量はやっぱり創作をする「時間」に比例してくるし、それは「体力」に比例していると思う。
痛いけど、それが現実だ。

創作量が全てではなし、自分に向いているスタイルがあるはずだけれど、やっぱり最低限必要になってくる量というのはあるように思う。
天才じゃない自分は特にこの「最低限の量」が課題であると思っている。

そして、自分が書き続けることが出来なくなる理由は何となく分かってきている。
それは「生活」である。

足りないやる気や、足りない根性や、足りない集中力の根源は、不安定過ぎる生活だ。
今さら、会社員になることを想像するのは少し難しいけれど、生き残る為、たくさん書くためには、なるべく安定した生活をしていく必要がある。

習慣化を身に付ける為に、生活を。
生活によって、習慣化を手に入れる。

バイタリティみたいなものは昔から得意じゃないけれど、そろそろちゃんと自分の欲しい物を手に入れる為の努力をしたい。
欲しいものが手に入らない人生は、もうちょっと飽きてきたのだ。

しっかり掴む楽しさだってあるはずだし、それも含めて自分らしさになるかもしれない。

ちゃんとプロの漫画家になりたいから、生活する努力もしていこうと思う。
ちゃんと書いて、ちゃんと描いて、ちゃんと生き残っていく行くために。

と、いうことでnoteもしれっと再開したので、作品をまた楽しみにしてくれれば嬉しい。
続ける為に一番大事なことをおれは知っているから、とりあえずずっと続けてみようと思う。


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ちょっと追記。

この文章は2021年9月ごろに9割ぐらい書いて、大きな理由はないのだけどなんとなくnoteに投稿していなかったものです。

なので、もしおれの創作活動を追ってくれている変わった人がもしいるならば、その人にとってはタイミング的に少し違和感があったかもしれないです。(数ヶ月前に創作活動再開していたので。)

なので気にしすぎかもしれないけど、これは正真正銘メチャクチャ久しぶりに書いた文章なのです。

まあ、何はともかくみんなもしれっと再開していきましょう〜。

最後まで読んでくれてありがとうございます! ふだんバイトしながら創作活動しています。 コーヒーでも奢るようなお気持ちで少しでもサポートしていただけると、とっても嬉しいです!