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おれは井の頭公園の池の柵を壊したいと思った。

おれは吉祥寺に住んでいる。

ほんとうは吉祥寺からちょっと離れているのだが、人からおしゃれな生活をしていると思われたいので吉祥寺に住んでいると言い張っているのだ。

そんなおれが住むおしゃれタウン吉祥寺には、「井の頭公園」という公園がある。

26歳にしておじいさんみたいなのだが、おれは散歩が趣味なのでもちろん井の頭公園によく足を運ぶ。
ヒマがあるとほとんど毎日行くくらいの熱狂っぷりだ。

程よい広さで散歩するのにちょうどいい。

土日は人が多くて、少し鬱陶しいが、平日の昼間なんかは人が適度で最高だ。
周りに人がちゃんと生活しているということを感じられるのは、自分を慰めてくれる。

犬を散歩している人も少なくなく、人肌恋しいときは人肌を諦め、犬肌を触りにいく。
だいたい、「触っていいですか?」と飼い主さんに聞くと、喜んで触らせてくれるのだ。

体温や息遣いが伝わってきて、なんとも安心する。
特にデカい犬を触っているときの安心感っていうのはほぼ魔法みたいである。




奥の方にあるベンチでコーヒーを飲んだり、音楽やラジオを聴いたり、本を読んだりしながら太陽を浴びる。

これが最高に気持ちいいのだ。
太陽を浴びると体調も良くなる。

太陽を浴びていると、何かのエネルギーが身体中の細胞に充電されているような感覚になる。
イメージはじぶんの身体が太陽光式の電池になったみたいな感じ。

看護師をしている友達に話すと、それは多分セロトニンのせいだよと言われた。
人間の体は太陽の光を浴びるとセロトニンというものが分泌されるらしい。

人間はなんとくそれを細胞レベルで感じているのかもしれない。
人間すごい。

ちなみにセロトニンは「幸せホルモン」と呼ばれる神経伝達物質らしく、大変ありがたいものである。
おれの幸せはこのセロトニンという得体の知れないホルモンの分泌量しだいだと言われると、人生とはなんてしょうもないものなのかと投げやりな気持ちになる。

セロトニンがたくさん分泌されて幸せな気持ちでいっぱいなので、難しいことを考えるのはもうやめよう。




井の頭公園は真ん中に大きな池があって、いつもカップルやら親子やらが各々スワンボードを漕いでいる。
その横をカルガモやカイツブリが優雅に泳ぐ。

公園の中央にある七井橋の側には背の高いヨシが生い茂っていて、そこはたくさんの生き物の巣になっているらしい。
井の頭弁財天でお参りをするのも良い。

その日もとても天気が良かった。

一番いい天気の良い日の空っていうのは澄んでいない。
何層にも光の膜みたいなものが空気を覆っていて、光がキレイに濁っている。(サムネの画像、この日に撮ったやつ。ちょっと伝わるでしょ?)

奥のベンチに座った。
いつの間にか、空いているとだいたいいつも同じベンチに座るようになった。

定位置っていうのはいつでも人を安心させる。




ベンチに座ってリラックスしながら、池を眺めていた。
水面は不規則に小さくうねりながら、太陽からの光を正確に、規則的に反射させている。
細かい光がキラキラ泳いでいてなんともキレイだ。

ふと、ここで泳いでみたいなと思った。
もちろん今は何重にも厚着をするくらい寒い季節だから、入ったら大変なことになるに違いない。

でも、もし今が夏のピークだったら。
蒸し返す暑さの中、裸になって池の水の中を泳げたらどれだけ気持ち良いかは、想像にたやすい。

すると、なぜ今の社会ではそれが出来ないんだろうと疑問が湧いてきた。

人間が自然と一体だった時代、多分人はそうして暮らしていたに違いない。
生き物は海から来たから、やっぱり水に浸かると本能的に何かが満たされるのかも知れない。

実際には裸で公園の池で泳ぐと、まず女性が悲鳴をあげ、そのあと警察に身柄を拘束されること必至であるが、ちょっと冷静に考えると池で裸で泳げる方が生き物として正しい姿のような気がする。

子供だって、そっちの方がよっぽどノビノビと育ちそうなものだ。

そう考えると現代人の苦労はこういうシンプルなところから生まれているんじゃないかなという気がした。

池の周りをぐるりと囲む柵は危険防止の為なのだろうが、人間と自然とを強く遮断する壁みたいなものに感じられた。

この柵がおれを不幸にしている諸悪の根源であるに違いない。
ベルリンの壁みたくいっそこの柵をセンセーショナルに破壊出来たら良いのに。


いきなりだがホモサピエンスは誕生してから20万年以上もの間ずっと狩猟採集民だった。(ちなみにこの井の頭公園にも縄文時代の狩猟採集民たちの遺跡がたくさん見つかっている。)
つまり人間の体とか脳は木の実を取ったり、魚を捕まえたり、ケモノを狩ったりすることに合わせ進化してきたのだ。

だからリモートワークで幸せを感じるように人間は出来ていない。
zoomで4分割された画面で遠くにいる相手と打ち合わせすることなんて、狩猟採集民族の自分たちの脳からすると大パニック案件である。

目の前の便利を手に入れるほど、実際には根本的な幸せからは遠ざかっているのかもしれない。

今の人間の生活は、本来の自然の中にいた動物としての人間の生活と乖離しすぎている。

たぶん便利を手に入れるたびにおれたちはちょっとずつ自然を生活から切り離してきたのだろう。
とても窮屈な時代におれたちは生きている。

狩猟採集民族に戻れとまでは言わないが、それでももうちょっと自然とのバランスを取り戻せば、人間もっと幸せになるんじゃないだろうか。
そうすれば、現代人の体調の悪さや悩みもたくさん解決しそうだ。

いろいろ分かったような顔をして難しいことを考えてみたけど、結局おれは井の頭公園の池で泳いでみたいだけなのだ。
どう考えてもそれは気持ちがよさそうだ。

でも警察に捕まる方がよっぽど怖いので、池を泳ぐことは諦めて、裸の上に服を着て、今日も小市民として井の頭公園を静かに散歩してみる。

radikoのタイムフリーで深夜に聴き逃したオードリーのオールナイトニッポンでも聴きながら。
うーん、便利な時代だ。

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