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あえて「静」でいる人の凄み。
そうそうそうそうそうそうそうそう
そうそうそうそうそうそうそうそう
そうそうそうそうそうそうそうそう
もうほんとそう、そうなんだ、そうなんだ。
プロダクトデザイナー秋田道夫さんの
言葉と出会った瞬間のことです。
自分の中に、共感の嵐が吹き荒れました。
その言葉とは、これ。
『 周りを「無能」に見せる「有能」は無能です 』
で、当然
これを読んですぐ、逆も考えてみました。
『 周りを「有能」に見せる「無能」は有能です 』
おーまいがー。
これ、自分の中の「すげえなと思う人」象なんです。
「有能」って
ポジティブで、饒舌で、活動的で
スピード感があって、推進力があって
そんな、いわゆる「動」のイメージ。
目立つので
凄さがわかりやすいなと思うのです。
でも年々思うようになってきたのは
【あえて「静」でいる人】はヤバイなということ。
じっくりと観察していたり
相手の言葉に敏感に反応していたり
言おうとすることなくしっかり聴いていたり
事が起きるまでとにかく見守っていたり。
そういうことを丁寧にやれている人たちは
その人自身はあまり目立たないけれど
その周りにいる人たちはどんどんと目立っていく。
それがどれだけ凄いことか!
無能っていう言い方はあれですけど
こうした一見わかりづらい
【あえて「静」でいる人】を見つけると
たまらなーく嬉しくなってしまいます。
自分も、いつの日にか。
『 周りを「有能」に見せる「無能」は有能です 』
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↑ 詩を猛獣使いのように見せてくれてる
あえて「静」でいるライオン先輩
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