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世界観episode 24 -美大入学、大学に行かない大学生 (HSS型HSP大学生編①)

住み込みの新聞配達を1年近く

続けながら、浪人生活を終え

晴れて大阪の芸大生となった僕は

周りやめずらしく親に褒められました。

今振り返ってみると、過去の人生の

頑張った年ベスト3くらいには

入りそうな、頑張った濃厚な1年でした。

HSS型の120%の濃度で生きる特性が

発揮されていたのではないかと思います。

そして大阪の自然豊かな環境に

囲まれたある芸大に入学します。

意外かもしれませんが、

東京芸大を始めとする芸大は

都心部より自然や緑が多い場所

に建っていたりします。

コースはデザイン学科でした。

さて、まずは友人とか繋がりを

作らないと。

当時ファッションが大好きだった

僕は、芸大というくらいだから

さぞ奇抜でかっこいいファッションの

人が大勢いるだろうと思って

いたのですが、いざ同じ学部の人達

を見てみると

あれ、イケてる人がいない・・・?

高校生ながらファッションブランドを

追求していた僕は、少し残念に感じます。

しかし女子の方は金髪の子や

ドレッドヘアの子、さすがは芸大生

って感じの子が多い。

早速、話しかけて仲良くなりたかったの

ですが、ここはHSS型、まずは遠巻きに

観察から入ります。

うーん、何となく輪に入りずらい・・・

大阪の僕の通っていた芸大は、美術

だけじゃなく、音楽や建築、文学まで

あらゆる芸術の総合大学でした。

生徒数は1万人くらいいるような

マンモス芸大です。

当時はようやく携帯電話が普通になり

インターネットが始まったくらいの

時でした。

これという友達がなかなかできません。

しばらくは同じ予備校から同じ芸大に

受かった友達と、別の芸大に受かった

友人たち、そして予備校当時から

付き合っていた彼女のグループで

遊んでいました。

親が大阪の都心部にワンルーム

マンションを借りてくれて、

なんと友人も同じマンションの

違うフロアに住み日夜、

集まり、飲み会を開いていました。

1年生の芸大での僕の感想は

とにかく「つまらない」でした。

芸大のデザイン学科というくらい

だからとにかく刺激的で楽しい

授業を期待していたのですが

アナログなポスターカラー

でフォントの文字を手書きで

作ったり、基礎的な線を描いたり

とにかく発想力の求められる

課題がありませんでした。

一般教養の授業も堅苦しい

歴史や、社会に出てためになら

なそうな授業、とにかく好奇心が

全く刺激されませんでした。

僕は次第に学校に行かなくなり

予備校時代から仲の良かった

同じマンションの友人たちと

バンド活動を始めます。

高校生の頃にエレキギターは

かじったことがあったので

僕はギター担当していました。

とはいえ、カバーする曲は

初期パンクバンド

3コードで成り立つような

曲構成だったので、何とか

弾くことが出来ました。

僕のこの先の音楽活動の

スパイスにもなった活動でした。

ターンテーブルを操るDJにも

興味があったのですが

バンド活動とダンスミュージック

を平行して聴いていくことになります。

大阪のサブカル発信地、アメリカ村

の近くに住んでいたので

とにかく刺激がいっぱいでした。

世界観episode 25 -弾けまくった大学生生活
へ続きます

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