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医学が抱える課題







21世紀の医学が抱える課題

医学は宗教ではないから、信心する対象ではない。
また行政の下請けマニュアルでも、営利企業の販売店でも、政権、政党の犬でもない。
まして英米支配のための傀儡装置であってはならない。
権力やマスメディア、商売人の片棒を担いではならない。
医学は科学の一分野であり続けるべきなのだ。
現代、理論科学はその進歩が停滞していると言わざるを得ない。
工学技術偏重状態である。
残念ながら現代は「科学」と詐称する偽物が世界を支配している。
医学は人類経験情報の集積という性質を本質的に内在するから、どうしても統計分析を避けられない。これはポテンシャル法線に従う理論物理学とは異なり、地球表面で生活する我ら生物の確率事象の分析を必須とする。
さいころは投げて水平面に落下するまでは答えを出さないが、水平面で相対運動量が0になったら確率的答えを出すのだ。
理論物理学者であったシュレディンガーは分子生物学分野も切り拓いた。
これは細胞の生化学理論をさらに分子レベルまで掘り下げて分析しようとする物理学的思考でもある。
Eric R Kandel(1929~)の記憶に関するナトリウム-カルシウムチャネルの生成の研究(2000年、ノーベル賞)が記憶に新しいが、その後画期的研究は停滞している観がある。Kandelの研究により細胞の記憶の仕組みでさえ物性記憶であることが証明された。従って、我々が精神、心と意識する現象でさえも物質(細胞膜上に分布、出現するたんぱく質分子やそこから出入りする電解質などの物質)によって発生している現象であることがわかった。
これは非常に画期的な研究で、その後カルシウムチャネルの生成機序とその作用が注目を集め様々な派生研究が進んだのだ。
先端学問研究を支えるのが広範な人材だ。教育を民営化したり学生の私費依存傾向が強まれば、一部の裕福な子弟のみが学問に接する社会になってしまう。
学問に関する政策的資金配分は我が国においては残念ながら粗末な状態に後退してしまったと言わざるを得ない。
我々が日々接する医学なるものの大部分が常々統計処理の誘導性の危うさと隣り合わせにある。統計による相関は因果の証明ではないことに留意しつづけねばならない。因果を論ずるには基礎理論の裏付けがなければならない。
統計処理誘導は権力、政策、商魂、研究者の利益など様々な誘惑の作用であるから、一種の詐欺である。
独占資本と行政が支配する医療界では事実、現実重視の行動が不当に加圧される危険がある。
ヒポクラテスがどんな人だったか?会ったことがないから私は知らない。その「誓い」の文章はしばしば医学生にも読まれている。
様々な解釈があろうけど、権限、判断、結果責任の所在は一致しなければなるまい。
統計処理に際しては功利主義を排しながら常にバイアスの評価を行い、研究方法も充分透明に公開して行うべきである。
                                               
分子生物化学などの基礎理論に立脚した医学の進歩を期待したい。

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