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曲率の定義と次元の意味

 平面図形における円の曲率は一般に1/r と定義される。
 これは円周線の曲がり具合のことだ。
 さて私は空間の曲率をその体積あたりの表面積と定義しようとしている。これを平面に準用すれば、平面の円の曲率は
 円周/面積 となるから2/r と書ける。
球ならば3/rとなるから次元が分子に現れるのでおもしろいと思う。
 まあ、この係数にどう言う意味があるかは考え中だが、曲率次元は平面も空間もrの-1乗となることには変わりない。
 私の定義しようとする空間曲率は空間の歪とも表現できる。空間が大きくなるほど歪は意識されなくなるが、微小空間領域では1/rが非常に大きくなるから空間は強く歪むことになる。
 また微小空間ではその体積よりも表面物理量の方に意味が強くなることも論じてきた。
 私が電子を閉曲面現象だと発想したのは、そういう性質からでもある。
 このことは小さい粒々ではその表面積の方に体積よりもより大きな性質を付与できることは我々の見える世界でも理解できるだろう。
 例えば砂粒の集合はザラザライメージだが、これは表面現象の事だ。小麦粉の性質はその表面の性質に他ならない。我々に見えるのは小麦粉の表面の集合である。その内部を意識しないだろう。
サラサラとかベタベタというのも表面現象における隣接する構造との力学的あり方の表現だ。
 まして原子サイズの粒となれば、その性質はほぼ純然たる面の性質のみ観測されることになる。
これは(Δr)²まで観測した場合、(Δr)³は無視できるという理屈となる。
 言い換えれば(Δr)³を見ようとすれば(Δr)²が邪魔になって見えなくなるとも言える。
 一方大宇宙空間ではその体積の方が意識され、宇宙空間の表面積なんてよくわからないし定義もできなくなる。もちろん半径もどうでもよい。つまり宇宙は体積だけが物理量として意味をもち面積や半径は無意味となる。
 微小世界はこれとは逆に表面積や半径だけが意味をもち体積は無意味となる。
 私が展開する電子=閉曲面論では、ギリギリ面が意味をもつ世界であるが、それよりはるかに小さい原子核の世界となればヒモ理論が言うように一次元しか測定意味をもたない世界になるだろう。

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