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産業別に労働ポテンシャルがあり、労働者の転業には不可逆的な方向性がある

農業→工業→金融サービス業
つまり第一次産業→第二次産業→第三次産業
という方向に労働者は転業することはある。しかしこの逆方向の転業は実際には困難だ。
それは労働のきつさだったり全身的な熟練を要する専門職性において農業が筆頭となるからである。剰余労働の程度順という見方もできよう。
農業を行うのは簡単なことではない。
しかも単位時間あたりの収入が不当に低く抑えられている。
これでは農村から若者が都会へ出て行ってしまうのである。
ひとたび都会へ出た者が田舎へ帰ってきて農業を継ぐことは稀であり、その結果農業は廃れて耕作放棄地が拡がってしまう。放棄された農地は生産性がどんどん低下してしまう。

20世紀、日本は工業国化していった。
工場へ労働者を供給したのは地方の農村だった。都会の周辺地域は工業地帯となった。従って都会に人口を供給したのも農村だった。
農村は食料だけでなく人口も都市へと供給していたのだ。
1990年代ころから、日本では工業人口が減り始め、サービス業へ転ずる者が増えた。農業者はどんどん減少した。
こうなると人口供給システムである農村が荒廃してしまい、日本の人口自体が減少し始めた。都市には人口供給機能がないのである。農村人口が増加している系では、農村から一定速度で都市に人が流入することにより、都市人口は増加する。
少子高齢化の主因は農村の荒廃だ。これは国家の滅亡につながる危険な状態なのだ。
農村が荒廃するということは国土を面で産業利用することをやめるということでもある。点と線でしか国土を利用できない産業構造となった。
労働者が一旦サービス業に就いてしまうと、工業や農業へはなかなか戻れない。
時間あたりの所得が減るし仕事はきついでは誰もそういった道は歩まない。
かくして日本では第一、二次産業生産が減少し通貨価値を維持できなくなり、一方、極端な金融緩和政策により過剰な通貨発行を行い、通貨は異常インフレーションを起こし資本主義は終焉を迎えた。

次のような場面を想像しよう。
坂があって勾配に沿って水が流れ下る。
水はポテンシャルを失い、運動エネルギーに転換される方向にしか流れない。坂を転げ落ちるものを反対に動かそうというならばそのものに高さ、つまり位置ポテンシャルを与える仕事をしなければならない。

人間の世の中の動きも自然科学の法則性と似たような法則に従って、その歴史は変遷するものである。(唯物史観)
一次産業→二次産業→三次産業
冒頭、労働者の転業にはこういう一方向性があることを示した。これを物理学式に言えば一次産業のポテンシャルが最も高く、二次産業、三次産業と低くなっていくということになる。
市場を放任しておけば、ポテンシャルは減る方向にしか変化しないから農業者は減っていくことになる。実際にそうなったのである。
転がり落ちたものを元の位置に戻そうとするならば再び持ち上げねばならない。従って、一旦減少した農工業者数を復活させようというならば、エネルギーをその系に加えて仕事してやらねばならない。
つまり資本を三次産業→二次産業→一次産業へと政策によって投じていかねば実体経済を維持できないのである。
つまりポテンシャルとは逆方向へ常に資本を戻していかねば産業構造は維持できない。
農業は、「仕事は大変だけど稼げる仕事だ」という一般認識ができていなければ、国家を維持できないともいえる。
こうした逆ポテンシャル方向への政策的投資により、都市と農村の均衡が維持できれば国家は安泰するとも予測できる。
政策投資には剰余労働への報酬という意味も含まれる。大変な仕事をしている労働者への資本投下である。
こうした政策投資は常に労働市場動向をみながら計画的に実施されるべきである。
計画経済には労働市場の産業間バランスを適正化維持する機能が必要である。

このような労働市場操作は国家機関が行うべきであろう。独占資本主義ではこうした資本分散という仕事ができない。
日銀は金融市場操作を行うが、社会主義(分散資本主義)では労働市場操作の制度設計も必要となろう。

以下は一つの私案である。
例えば日銀が地方債を適正な金額分を買い各地方主要銀行に資金を流す。地方はそれをその地方の各種産業へ適正配分投資を行う。こうした地方オペレーションは試行錯誤しなければよいシステム構築は大変かもしれないが、やらねばならない取り組みでもあろう。
また地方債の発行金額はその土地の生産実績+拡大(縮小)見込み額から算出されよう。実生産と均衡する債権発行権を地方に認めるものである。
一次産業→二次産業→三次産業 と移動する労働人口の速度をモニタリングして、それとは逆に均衡する速度の三次産業→二次産業→一次産業への転業に必要な追加資金を割り出さねばならない。
そして地方が生産増に成功すれば、地方は納税により債務を果たすことになる。
地方への投資は必ずしも効率を求めるべきものでもない。大事な食糧生産機能、人口維持機能を保守するための国家建設資金と捉えよう。
社会主義は地方保守主義でもある。

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