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高句麗地名考

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三国史記などに出てくる高句麗地名と日本語の関係について考える
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邪馬台国の所在

これは長年議論のある話題なのであまり書く気もないのだが一応私見を述べておく。
魏志倭人伝の記述を当て嵌めれば、築後川と矢部川に挟まれた八女市から柳川市あたりの領域を邪馬台国に比定するのがピッタリしていると思う。
その南にあるとされた狗奴国は菊池川下流の平野領域のことではないだろうか。
女王国の範囲というのは築後川や矢部川流域に広がっていた諸地域のことだろう。
投馬国は八女市の北にある三潴に比定した

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漢字による音写に関するひとつの考え方

漢字による音写に関するひとつの考え方

漢字による音写に関するひとつの考え方
日本を含め古代中国周辺民族の歴史を考える時、中国文献は非常に重要だ。しかし、その周辺民族の手による文書資料は極めて乏しい。中国周辺各民族が固有の文字を書き残すようになったのは9〜10世紀以降のことだ。
それ以前の古代史に関しては中国の文献資料に依存する。
問題は地名、人名、民族部族などの固有名などだ。また歌を音写した資料もあるが解読に苦慮する。
それらは漢字の

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楊口郡 要隠忽次
これはヤナクチと読めるだろう。
猪、牛をウシ、シシと呼んでいたという根拠。
猪闌峴を烏生波衣、猪守(ウシカイ)
猪足を烏斯廻 ウシタリ
猪䢘穴を烏斯押 ウシカイ
牛首 牛頭 首次若 烏根乃 より牛の字はシシ、ウシ
牛岑 牛嶺 首知衣 よりシシ、スチ


伊伐支県の別名に自伐支とある。
これはイバラキと読んだのではないか。
深川県を別名で伏斯買とある。
これはフシミではないか。
赤木県 沙非斤乙とある。これはサビキオチとでも読むのか。
赤をサビ、木をキと読んでいたようだ。
東墟県を加知斤とある。東をカチと読んだか。東風をコチ。

穴口を甲比古次と別名表記されることは紹介した。

物部 麁鹿火は荒甲と古事記では書いている。
甲比はカヒだろう。
水入県の別名を買伊県とするのは水の字をミと読んでいたことを推測できる。また入をイと読むことも推測できる。高句麗地名の字は日本語訓と類似していたのではないか。

獐項口県 古斯也忽次 
これは多分コシヤグチと読むだろう。
泉井口県の別名として於乙買串とある。
これは多分オウミクチに近いだろう。淵(泉)蓋蘇文をいりかすみ(伊梨柯須弥)とするが泉はオルのような音だろう。水の意。

穴口郡 甲比古次 海口郡は紹介したが、口をクチと読んでいる根拠は他にも見られる。
獐項口県 古斯也忽次 
泉井口県 於乙買串
楊口郡 要隠忽次
串という字を当てている例はこの字をクシと訓で読んでいることもわかる。
口を古次、忽次、串に対応できるからほぼ確実にクチと読める。

穴口郡 甲比古次 海口郡
とある。
カヒクチと呼んでいたと思う。
口をクチと訓読していたと考えられよう。
買 米 川 という対応がみられる。
水の意のミと呼んでいたのではないか。
発音はメだったかもしれない。