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読書全般

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純文学全般の話をまとめたマガジンです。
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#夢十夜

マガジン紹介――過去記事を整理していきます!

不定期でありながら2年近くnoteを書いてきました。つぶやきも含めて300記事以上は公開しているみたいです。 過去記事をたどるのも一苦労、となってしまいました。 そこで今回は自分が作成したマガジンを紹介したいと思います。(また同時並行して、過去記事の整理やサイトマップの更新なども裏でやっていきます。) 1. 読書全般今までに書いてきた本に関するエッセイ・コラム・作品考察をまとめています。 その量は195記事!(これからも増えていくでしょう。)とても多いですね。 過去

📖夏目漱石『夢十夜』感想文のあとがき

読書感想文に「あとがき」が付く、というのも何かヘンな話である。 だが『夢十夜』を読む上で、心がけていたことが色々とあった。そういった工夫を紹介していきたい。それにはどうしても「あとがき」が必要なのだ。工夫の内容については、以下の通り。 1.日露戦争の話題は持ち出さない 2.なるべく本文を引用しながら 『夢十夜』感想文の目次を案内しておく。第一夜から第十夜まで一夜ごとに記事を書いてきた。まだ本編をご覧になっていない方は、こちらから読んでいただきたい。 1.日露戦争の話を

📖夏目漱石『夢十夜』第十夜②

この記事でひとまず決着をつけたい。夏目漱石『夢十夜』の第十夜、その感想文を書いていこう。 第十夜の出来事に関しては、前回の記事でまとめておいた。また、第十夜に登場する人物やモチーフの気になる部分についても触れた。 「ガダラの豚」の伝承について特に気になるのは、豚の大群があらわれる箇所だろう。「ガダラの豚」の伝承を思い出した方も多いのではないか。 あるいは、ブリトン・リヴィエール『ガダラの豚の奇跡』という絵画を連想された方もいらっしゃるかもしれない。 絵画の真ん中に黒い

📖夏目漱石『夢十夜』第十夜①

第十夜。いよいよ、夏目漱石『夢十夜』も最後のエピソードに入る。第九夜も、やや未完の趣がある。が、先に第十夜について書いてしまいたい。 これまでは、あらすじを一通りまとめた上で、感想を綴ったのだが、今回は筋を紹介しながら、感想を述べていくことにしたい。 第十夜の構造について第十夜の構造は、〈語り手〉が、健さんから庄太郎の体験を聴くという形になっている。これは最初と最後の文章から明らかになる。それぞれ引用してみよう。 庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、

📖夏目漱石『夢十夜』第九夜③

前回は、母親が所持していた「鮫鞘の短刀」の意味と、父親が出ていった際の武器の描写の欠如を考察した。その2点の考察から、【なけなしの財産として「鮫鞘の短刀」を託した父親】と【その短刀を肌身離さず持ち歩く母親】の像が、一つの解釈として浮かび上がってきた。 だが、”数え年三つ”だった〈語り手〉については触れていなかった。そこで、今回は〈語り手〉について掘り下げてみたい。 その一環として、再度、父親が出ていったときの描写を振り返る。 抜け落ちた武器の描写について 家には若い母と

夏目漱石『夢十夜』感想文の目次

夏目漱石『夢十夜』に関する記事が多くなってきた。 よって、目次を作成することにした。 『夢十夜』全体に関する記事📖夏目漱石『夢十夜』読書メモ 📖夏目漱石『夢十夜』感想文のあとがき 『夢十夜』第一夜~第十夜の個別記事📖夏目漱石『夢十夜』第一夜 📖夏目漱石『夢十夜』第二夜 📖夏目漱石『夢十夜』第三夜 📖夏目漱石『夢十夜』第四夜 📖夏目漱石『夢十夜』第五夜 📖夏目漱石『夢十夜』第六夜 📖夏目漱石『夢十夜』第七夜 📖夏目漱石『夢十夜』第七夜(没) 📖夏目漱石『夢十夜』第八夜 📖夏

📖夏目漱石『夢十夜』第九夜②

前回の記事では、第九夜の全体を3つの部分に区分けした。 そして、①父が出ていった経緯を語ったところで終わった。最初に以前のポイントを整理しておく。文中に記述があるものを「○」、本文から一歩踏み込んだ解釈を「◎」で分けた。 振り返りはここまでにして、早速続きを見ていこう。 ②の範囲について律儀な方もいらっしゃるだろうから、②の範囲をはっきりとさせておく。なお、これは記事執筆者(水石)自身の定義である。多種多様な分け方の一つに過ぎない。 ② 母の御百度参り:短刀について母

📖夏目漱石『夢十夜』第九夜①

※※ヘッド画像は 晴川やよい さまより 夏目漱石『夢十夜』第九夜は、御百度参りの話が印象的である。 〈語り手〉の母親が、〈語り手〉の父親の安全祈願に御百度参りをする。それも夜中の神社で、泣きわめく赤子(=〈語り手〉)を柱に括りつけながら。もちろん何日も同じことをしているはずだ。御百度参りというのだから、百回も参拝する必要がある。 〈語り手〉にとっても、母親にとっても、壮絶な体験であるのには違いない。が、話の続きもまた不気味である。〈語り手〉は「父親はとうの昔に浪士に殺さ

📖夏目漱石『夢十夜』第八夜

第八夜は”鏡とマネキンの話”と形容すれば適切だろうか? 鏡の外の世界の人間には、ほとんど生気がない。床屋の主人(白い男)しかり。最後に出てくる金魚屋も不気味なほどに動かない。 一方で鏡の中の世界にいる人々は動的である。札を懸命に数えている女やラッパを吹く豆腐屋、パナマ帽をかぶった庄太郎、化粧をしていない芸者……といった色んな人間の影が鏡の中、鏡から映る格子窓の中を動いている。 〈語り手〉は自覚していないであろうこの徹底された対比は、話に不気味さをもたらしている。鏡の外では

私の読書日記~『夢十夜』第七夜に関するボツネタ:2021/10/13

夏目漱石『夢十夜』第七夜にて〈語り手〉は蒸気船に乗っている。さすれば気になるのは航路のことである。漱石はどのような航路をイメージして第七夜を書いたのだろうか?――本来はそういう話をしたかったのだが、調査の結果、(私が語ったところで)退屈な話になりそうだったので、やめた。 退屈に感じた正解一応、「漱石が第七夜の着想をどこから得たのか?」、それらしい話を示しておこう。 漱石はイギリス留学に際して、プロイセン号という船に乗っていたらしい。したがって、第七夜に登場する”黒く冷たい

📖夏目漱石『夢十夜』第七夜

蒸気船に乗っていた〈語り手〉が、最終的に「無限の後悔と恐怖」を抱きながら、黒く冷たい海へと飛び込む話であった。甲板で話しかけてきた宣教師に「あなたは神を信仰しますか?」と問われた際に、沈黙していたのが印象的である。 個人的な所感『夢十夜』の中で、私が好きなのは第七夜である。意外に思われるかもしれない。第七夜には何の救いもない。〈語り手〉が海に飛び込んで、”終わり”なのだから。そういう点では報われない話であり、とても好きになれそうもない。 が、私はそこに漱石の恐怖心を見出す

📖夏目漱石『夢十夜』第六夜

※※ヘッド画像は Lonesome Pine さまより 第六夜は本作で最も人気のある章ではないだろうか。運慶が大木から埋っている仁王を彫りだす話である。(決して”仁王の木像を創る”話ではない。)それに触発されて、主人公も何か彫ってみるのだが、「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。」と言って終わる。少なくとも〈語り手〉には、仁王は彫れなかったわけだ。 しかし、最後の〈語り手〉の反応はどうだろうか? 引用を見ながら、その部分を掘り下げてみよう。  

📖夏目漱石『夢十夜』第五夜

第五夜は悲恋の物語である。 神代の戦争にて、〈語り手〉の男は敵将に捕らわれてしまう。命わずか、という状況だ。こうなると、想っている女の顔を一目見たい。そう思うのが人情である。敵の目をかいくぐり、想い人との逢瀬を果たす。機会は鶏鳴の一度のみ。鳴き声を合図に女と逢うと誓うのだが、男はしてやられた。天探女が偽の鳴き声を発したのだ。罠だった。男はついぞ女に逢うことはなく、夢は終わる。 突然の天探女あらすじはおおむね上の通りだろう。気になるのは天探女である。突然出てきて、男の恋路を

📖夏目漱石『夢十夜』第四夜

作中の「爺さん」は仙人か、マジシャンか、はたまた単なる狂人なのか? 「手拭を蛇に変えてみせる」と主張したまま、最後には川に潜って出て来なくなってしまう。読者はそんな爺さんに対し、狂気と得体の知れない恐怖を感じるのではないだろうか? 爺さんの思考力は信頼に足るものか?最初に明言したいことがある。それは、「爺さん」だからといって、【判断力が欠如しているとは限らない】ということである。乱暴な言い方になるが、決して呆けているわけではない、と私は思っている。 ここで注目したいのは、