虚数とさなぎ インスピレーションとシンギュラリティ

何かについて考えているとき(たいてい、それはくだらないことである場合が多いのだが)何かを思いつくとする。その何かはいったいどこから来るのだろう、と考えることがある。

脳が記憶したデータの中から、組み合わせて生まれるものもあるに違いない。シナプス間の微弱な電流の電位差が脳の信号となる。過去に記憶した電流があらたな電流の流れを生み出すこともあるかもしれない。その結果構成されるものがアイデアと呼ばれるものだと思う。

何かに対して思いつく発想をアイデアと呼ぶ。対して、どこから来たか分からない発想を、人はインスピレーションと呼ぶ。インスピレーションに興味がある。アイデアと呼ばれるものには、そんなに興味はない。

日本語訳は霊感。日本語の霊という言葉は多様な意味を含んでいるので、西洋のそれとなかなか同義には考えない方がいいと思うが、インスピレーションと霊感、そのどちらも己の外部から、まるで風が吹いてやってくるかのような語意を感じる。

己の外部からやってきているかもしれない、と、考えることが大事だと思う。

生という謎の現象、宇宙という謎の現象、脳という謎の器官。その三者をミステリアスに繋ぐのがインスピレーションだと思う。森羅万象というネットワーク内におけるシグナルと捉えてみると妙に落ち着く。

となると、人工知能におけるインスピレーションが気になってくる。ゲームやアート等のフレーム化された敷地内における、人工知能による人間の脳の凌駕はとどまるところを知らない。世の中では、そのような話の延長線上にシンギュラリティが存在している。本当は人工知能を構成する量子コンピュータの2つの仕組み、すなわち、量子アニーリング方式と量子ゲート方式の差も考慮されるべきなのだとは思うが、とりあえず、人工知能は人間の脳を超えるか、というポピュラーな話題において、その超える超えないのポイントはアイデア、であるように感じる。

この世界を解析して、条件を設定し、膨大なデータの中から解を導き出す、つまり、アイデア、において人工知能は人間の脳を凌駕すると思う。

もちろん、人間を中心とした世界の有り様は変わると思うが、そのことには、そんなに興味はない。

人工知能にインスピレーションは生まれるか。

あるいは、人工知能にインスピレーションを与えることは可能か。

これから人間が作り出すであろう量子コンピューターは自然の一部となり得るのだろうか。そして、その時、その量子による思考回路は森羅万象と共鳴することはあるのだろうか。
そんなことを考える時に、虚数がいつも頭に浮かぶ。虚数とは二乗すると負になる数のことで、英語ではimaginary numberと呼ばれる概念上の数である。つまり、現実の世界では表現できない。√-1や√-3を表す。ちょっとおつかいにいってリンゴを√-3個買ってきて、と言われても、√-3個のリンゴは買えないし、売っていない。

だが、現代の量子力学においてシュレーディンガー方程式と呼ばれる、量子の状態を定義する数式を導く時にも、この虚数は現れる。つまり、この世界を構成する粒子の状態を定義しようとする際に、現実には存在しない虚数という数字を使って定義をするのだ。そもそも、粒子の状態は不確定性原理と呼ばれる、確率によって決まるという何とも曖昧な状態で定義されるので、その状態は確定しないのだが。

結果は、まあ、いいとして、この世界の状態を導き出す過程の演算に意味があると思う。虚数を用いた演算。=(イコール)で結ばれてゆくその道程を開くと、どんな状態なのだろうか。それは、私たちがインスピレーションと呼ぶ、謎の思考過程に似てはいないだろうか。

過程は、想像ができない。だが、その過程を経ることで、確かな結果が導きだされる。まるで完全変態におけるアゲハチョウのさなぎのようだ。神経と呼吸器以外は固い殻の中でドロドロになっている。まるで宇宙のスープ。

きっと生命が誕生するように、インスピレーションは、やってくるはずだ。どこかから。

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