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口角の作用

 ある人から、口角を上げてみてください。と言われた。

 どうしてですか?と答えると、その方が素敵に見えるからです、とその人は答えた。

 私はいまさら自分が素敵に見えようと見えまいとどうでもよいのだが、と内心思ったが、その言葉が妙にひっかかった。

 確かに写真に写る時、自分では笑っているつもりなのに、写った写真を見ると憮然としていることが多い。

 こんなに不機嫌なはずはなかったのに、と思うことがままある。

 それは子供の頃からずっとそうだった。

 ことあるごとに機嫌悪そうですね、と、言われるのだ。本人はいたって平静か、なんなら比較的気分が良いのに、である。

 そこで、その人の言を契機に、実験的に口角を上げてみることにした。

 口角を上げてみる。違和感がある。

 物理的にもピクピクと表情筋がひくついている。何十年も脳からそんな動きを命令されたことがなかったのだから、戸惑うのも仕方がない。

 無理やり笑うと、口角というものはひくつくのだ、と感心してしまう。

 そして何より不安になる。

 自分は今なにも楽しいことはないのに、こんなに笑っていていいのだろうか、という不安である。

 馬鹿と思われるんじゃないか、いや、じっさい馬鹿なのだが、それは置いておいて、馬鹿丸出しに見えているのではないか、と案じてしまう。

 そこで、鏡を見て確かめる。

 すると、どうだろう。鏡に映る顔は、意外と普通の顔である。

 少し晴れやかな、たしかに、程よい感じの良さが確認されなくもない。

 なるほど。自分はこれまでのそこそこ長い人生、いかに不機嫌な表情を周りにプレゼンテーションしていたのかが分かる。

 そのまま勇気を出して街を歩いてみる。

 なるほど、サインでうるさい街も耳を塞ぎたくなるノイズも軽減されたような気がする。

 心持ちが変わったような気になるのだ。不思議なことである。

 筋肉が精神に作用しているのかもしれない。ただしこれ以上この仕組みに素人が言及するとあやしいメンタルトレーニングのような話になりそうなので止めておく。

 というわけで、この、意味もなく口角をあげるという行為を気に入っている。

 といっても、意識しないとすぐに忘れてしまい、いつもの無愛想な表情に戻ってしまうのだが。意識はしている。

 偶然、なんだかいつもより若干晴れやかだな、とお気づきになった知人の皆様は、どうか、そっとしておいてもらえると有難い限りである。



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