地上絵画論
空は広く、地球は狭い。
ボーイング777の窓から地上を眺めながら、ふと思った。
北米大陸西海岸に沿って南下する高度15,000ftの眼下には、ときおり個人用ジェットがラジコン機のように一文字を描きながら通過してゆく。
乾燥した山々の間には毛細血管のような道路が赤茶けた大地に張り付き、ときおりそれらが複雑に絡まる場所には集積回路のような集落が現れ、田畑の方形はデ•ステイルを思わせる幾何学模様を惑星の球面に沿って展開している。
飛行機で移動すると分かる。人は、地上のあらゆる場所にいる。
近未来、オートパイロット化したスカイヴィークルがコモディティ化したとき、それらは夏の夕暮れに発生する薮蚊たちのように、この広い空をブンブンブンと舞うだろう。
空は、人間に侵されていない。Z軸を持っている。だからXY平面に描かれる飛行機雲は清々しい。
あの有名なナスカの地上絵は神に捧げられているんじゃないか、と思う。
南米の乾燥した広大な土地。そこで暮らしていた古代の人々は自身が地上にこびりついて生きていることを理解し、自らの次元を超えた存在に向かって畏敬の念、それに少しのユーモアを加えて、Z軸方向に表現したのではないか。
神様、ご覧ください。私たちはこういうものです。
化石燃料を燃やしながら地上スレスレを100年前の技術で移動する乗り物の中で、21世紀の神様の気持ちを、ちょっと考えてみた。
お久しぶりです。いまも私たちをご覧になられていますか?
現在の抽象絵画をご覧になった神様は、なんとお答えになるだろうか。
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