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猫と話す
10年ほど猫と暮らしている。
名は春琴という。もちろん谷崎潤一郎の小説の登場人物が由来である。
四月二十三日の春生まれで、なかなかに我が儘な子猫だったため名付けた。
よく問われるが盲目ではない。目ヤニは多いが両眼ともに健康である。
猫は10年、齢を重ねても、言葉を発することはない。
だが会話ができる。
何を言っているか、まるで言葉を交わすかのように分かる。
不思議である。
んなーん。とか、にゅあああん。とか、声を発する時もあれば、無言でこちらをじっと見つめるだけの時もある。どちらも何を考えているか、なぜか分かる。きっと向こうもこちらの考えていることが分かっている。
こちらが疲れていると心配してくれるし、忙しさにかまけて相手をしないと拗ねる。
そのニュアンスは彼女が歳をとるにつれて変化している。
初めは、赤ん坊であり娘であり、そして恋人のようになり、妻になり、今は、母のように感じることも増えた。これからきっとおばあちゃんのようになるのではないかと思っている。
だが同時に、彼女は猫であり、猫らしい一瞬、やはり小娘のような振る舞いをする。
そのへんはやはり猫である。
猫である彼女と話していると、逆に言葉とは何か、という気になってくる。
人間がすべて猫であれば言葉などいらなかったのに、と思う。
春琴はかくいう今も、PCに向かって言葉を紡いでいる私を見ている。
ちなみに今、彼女は、言葉なんてモノを使わなきゃいけないなんて、人間って不便な生き物ね、と、こちらを見て言っている。
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