打ち合わせで決まらないモノ

 この数年、多くの表現物に対して、なんとなくそれが打ち合わせを経て制作されている結果のモノとして感じることが増えた。

 もちろん、映画には出資者がいるし、小説家や漫画家には編集者が昔からいる。 

 二人三脚やチームで目指すことのクオリティアップはある。だが、あくまで体感として、打ち合わせの合意の元、はずさないようにデザインされた表現物が増えた気がする。

 かく言う私のいる広告表現現場などその最たるものかもしれない。

 そんなこともあって、近頃、他の表現からエネルギーをもらうために、これまでは小説や映画からもらっていたものを、強い思いを持った料理人や鮨職人、オーナーシェフから、料理というアートを通してもらったりしている。パッションに満ちた料理に、打ち合わせはない。

 打ち合わせはインスピレーションやパッションを減衰させるリスクを持っている。

 そんなこんなで、なるべく強い思いや霊感をなるべくカタチにできるように、と、毎日考えている。そしてそういった表現に出会いたいと思いながら、このnoteをうろうろしていたりする。

 正解か不正解かを気にしない個の表現が、ここには多く転がっている、あるいは、浮遊しているから。

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