音楽から「響き」が失われていく

まだ子供が小さかった頃、テレビで番組を見せていたら歌の伴奏のトラックなどなどことごとく打ち込み音源のペラペラな音であることに驚愕したことがあります。彼女が大きくなり、車で好きな音源をかけていても、最初を聞いただけで邦楽か洋楽かが簡単に識別できてしまいます。大半の邦楽のポップスはデッドなスタジオでマルチで録音してミックスするでしょうし、鍵盤系はほぼ打ち込み音源なので響き
がないんです。ピアノだってちゃんとアコースティックなのを弾けば「弦の響き」が出るはずなのにそれがない。サスティンペダルを踏んで弾いたら他の弦にも共鳴した響きが出るのですが、そうしたものが一切排除されてしまいます。挙句コンプで音圧だけは上げるので、響きがなくて音圧の強い詰まった音になっているものが実に多いです。洋楽だとアコースティックピアノを使う現場も多いみたいで「あ、生ピアノだな」ってわかるしサウンドの空間というか奥行きも結構感じられます。クラシックやジャズの古い録音では会場にマイクを立てて録音しただけのシンプルなものも多く、ホールの響き、それぞれの演奏家の音が空間で響く感じも録音されます。今のブースに入ってモニター聴きながら録音する方式だとそうした空間は記録できないのです。音楽の好みに世代間格差が出るとしたら、この「響き」の感じのところの差が原因になるかもしれない、って考えています。「響き」は生のリアルな現場でしか感じることができず、自宅のオーディオセットで聴くような状況ではヴァーチャルなものしか体得できないんです。きちんとした響きを持たない音楽を滅多に聞けない環境っていうのが人の感性に与える影響ってどんなんだろうか?なんて考えてしまいます。
ともあれ、音楽の現場にある「響き」は生の現場でしか味わえないものなので、AIだのヴァーチャルだのというものに置き換えられたり奪われたりすることのできないものだろうなぁ、と思ったりもします(これもまた世代間格差になるのかも)。






















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