見出し画像

洞窟の比喩|プラトン 【君のための哲学#13】

◻︎提供スポンサー
ハイッテイル株式会社
Mofuwa


☆ちょっと長い前書き
将来的に『君のための哲学(仮題)』という本を書く予定です。
数ある哲学の中から「生きるためのヒントになるような要素」だけを思い切って抜き出し、万人にわかるような形で情報をまとめたような内容を想定しています。本シリーズではその本の草稿的な内容を公開します。これによって、継続的な執筆モチベーションが生まれるのと、皆様からの生のご意見をいただけることを期待しています。見切り発車なので、穏やかな目で見守りつつ、何かご意見があればコメントなどでご遠慮なく連絡ください!
*選定する哲学者の時代は順不同です。
*普段の発信よりも意識していろんな部分を端折ります。あらかじめご了承ください。



イデア


イギリスの哲学者であるホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と述べた。この言葉のとおり、プラトン(紀元前427年-紀元前347年)の思想は、今も西洋哲学の基礎として君臨している。
彼がした仕事は多岐にわたるが、その中でも特筆すべきは「イデア論」であろう。プラトンは、私たちの世界の裏には永遠不変のイデアという理想的な範型があると考え、そのイデアが真の実在であると主張した。私たちは猫を見て「これが猫である」と認識することができる。しかし、猫と言ってもその種類は多岐にわたる。どうして複数の猫っぽいものを、私たちは「猫である」とちゃんと認識することができるのか。プラトンはその理由を猫のイデアに見た。イデア界には猫一般の模範となるような完璧な猫像である猫のイデアがある。
プラトンは「体は魂の入れ物である」と考える。人間が魂そのものだったとき、私たちはそこで猫のイデアを観察している。不完全な人間の感覚では真のイデアを認識することができないが、私たちは自身の「魂のときの記憶」を思い出す(想起)ことによって、さまざまな類型を認識することができる。動物にも三角形にも数字にも美にもイデアは存在している。プラトンは、その中でも「善のイデア」が最高のイデアであるとし、イデアを追い求める者、すなわち知を愛するものこそが哲学者であると考えた。
哲学者は真のイデアの存在に目覚めた者であり、だからこそ彼らの言説は、まだ目覚めていない市井の人々には受け入れ難いものになる。


君のための「洞窟の比喩」


プラトンはイデアの説明のため、いくつかの比喩を用いた。その中の一つに「洞窟の比喩」というものがある。
地下の洞窟に人々が住んでいる。人々は生まれたときからずっと洞窟の奥深くに縛り付けられており、彼らは洞窟の突き当たりの壁しか見たことがない。彼らの背後には壁があり、そのまた後ろには炎が煌々と焚かれている。壁の後ろにはあらゆる形の模型を持った人々がおり、彼らは壁の上でその模型を行ったり来たりさせる。
洞窟の人々は、生まれたときからずっと壁に映された模型の影を見ている。彼らにとってみれば、それが唯一の実在である。間違ってもそれが「影」だと解釈することはできない。模型を運んでいる人たちの声は洞窟内で反響し、あたかも壁からその声が聞こえてくるように感じる。彼らにとっては、壁から与えられる情報が全てなのである。
プラトンはこの比喩によって、私たちが実在だと思っているものも、結局はイデアの「影」でしかないことを表現する。
しかし人間の中には、稀に自身の拘束を解いて洞窟の外に足を踏み出す者がいる。これが哲学者である。哲学者は勇気ある行為によって真実を知る。彼はその真実を人々に伝えようとするが、壁から得られる情報が全てだと思っている人々は哲学者の説得に応じない。それどころか馬鹿にする。哲学者は人々の愚かさに愛想を尽かし、更に洞窟の中を探検する。そのうち彼は洞窟の外に出る道を見つけ、外で見たこともない景色を経験する。しかし、強烈な光に目が慣れてしまった哲学者が洞窟の奥に戻ると、もはや人々が実在だと思っている「影」を認識することはできず、人々と哲学者の距離は取り返しのつかないものになってしまった。
洞窟の比喩は固定観念の強さをよくあらわしている。人が何かを強固に信じる裏には、そうなるだけの理由がある。「そうやって生きてきたんだから」という信念がある。そして時にはそう思っていた方が楽な場合もある。
しかし「鎖から解放されるとき」は唐突に来るかもしれない。そのとき、きっとあなたの周りの人間はあなたのことを馬鹿にするだろう。しかしプラトンは、それでも洞窟の中を探検し外に出る道を探しなさいと言う。
それはもしかしたら世間一般との訣別に繋がる行為かもしれない。一旦真実を知ってしまった後に、また元の生活に戻ることも難しいかもしれない。
だとしても、その方が「善い」とプラトンは考えるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?