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疎外|マルクス【君のための哲学#23】

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☆ちょっと長い前書き
将来的に『君のための哲学(仮題)』という本を書く予定です。
数ある哲学の中から「生きるためのヒントになるような要素」だけを思い切って抜き出し、万人にわかるような形で情報をまとめたような内容を想定しています。本シリーズではその本の草稿的な内容を公開します。これによって、継続的な執筆モチベーションが生まれるのと、皆様からの生のご意見をいただけることを期待しています。見切り発車なので、穏やかな目で見守りつつ、何かご意見があればコメントなどでご遠慮なく連絡ください!
*選定する哲学者の時代は順不同です。
*普段の発信よりも意識していろんな部分を端折ります。あらかじめご了承ください。



疎外


資本主義のルーツは、ルネサンス初期(14.15世紀)の農耕資本主義や重商主義にまで遡れる。しかし、これらの資本主義的な社会においては現代ほどの格差は見られなかった。状況が変わったのは18世紀のイギリスで産業革命がおこってからである。カール・マルクス(1818年-1883年)が生きた19世紀には、資本主義による格差の拡大が大きな問題となっていた。
彼は、資本主義の問題点を仔細に分析し「資本主義の次」があることを主張した。
かつて人は労働の喜びを感じていた。それは、自分がしている仕事とその成果物に密接な繋がりがあったからだ。しかし、いつしか人は労働とその成果物から疎外されてしまう。わたしたちの多くは、自らの仕事で生み出された成果物とは無関係な人生を送っている。これによって労働の喜びや実感は希釈され、(生活のための)労働の苦痛だけが残された。
資本家は労働者を余分に働かせ、それでいて労働者に生活のための賃金しか与えないことにより剰余価値を生み出す。資本家は生産手段を私有しているから、労働者はこれに逆らうことができない。この搾取の構造により、資本家はより富み労働者はより困窮する。格差の誕生である。
(ヘーゲルの影響を強く受けていた)マルクスは「資本主義はいずれ滅びる」と考えた。歴史には不可逆な進化の流れがあり、資本主義はその途中である。資本主義はいずれ正当に乗り越えられ、共産主義というより優れた社会システムが生まれる。
それは必然であり、必須の未来であった。この思想はマルクス主義として独り立ちし、その後の世界に大きすぎる影響を与えることになる。



君のための「疎外」


資本主義を乗り越える革命。マルクスは、それを物質的な側面の変化に見た。社会は法律や政治や文化といった考え方やルールとしての意識的な側面(上部構造)と、生産手段や生産関係といった物質的な側面(下部構造)によって成立している。上部構造は常に下部構造の影響を受けながら変化するので、下部構造における常識を破壊することで、上部構造に革命がもたらされると考えたのだ。
彼の主張が正しいかどうかは分からない。今も世界ではその主張の大掛かりな社会実験のようなことが行われている。これは私たち個人の手にはあまりある問題のようにも思う。
しかし、彼が提示する疎外の概念は、私たちになんらかのヒントをもたらすのではないか。
はるか昔の共同体では、人と人は「人と人」として関係を持っていた。しかし資本主義の影響により、それは「物と物」の関係に様変わりした(物象化)。そして、物との交換ツールとしての貨幣は、独立して力を持つようになり、私たちはあたかも貨幣そのものに強大な力があるような錯覚に陥る(物神崇拝)
社会によって私たちの認知はすでに歪められていて、それによって労働からの疎外もあらわれる。
これを社会全体の問題として解決するのは非常に難しいし、個人の手には余りある課題かもしれない。しかし、個人の単位でも出来ることはある。
貨幣に対する錯覚があるということを認知する。人間関係を「物と物」ではなく「人と人」として見つめ直す。なるべく労働の喜びや実感を感じられる仕事をする。マルクスが指摘した資本主義の性質の逆を意識することは、無味乾燥な社会をそれでも彩っていく抵抗にならないだろうか。(ちなみにこのような行為を多数派が採用すると、資本主義は成り立たなくなる)
もちろん、こうした行為をするということはゲームのルールに背くことになるわけだから、大体の場合損をしてしまう。しかし、その「損」という感覚自体が物神信仰の賜物である。
マルクスの思想には、私たちにとっての本当に大事なものを浮き彫りにするヒントが詰まっているのかもしれない。













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