東北完全制覇+α(第八夜)JR東日本 常磐線 特急 ひたち3号 車窓 上野→いわき→仙台

過去に常磐線に乗ったのは?と手元の記録を見直してみると、初回はなんと1985年。その次はいわきー仙台に1990年。その後は、2009年の年末に勝田まで来ています。いずれにしても久しぶりなのは同じこと。2020年のダイヤ改正で復活した「仙台行きひたち」で乗り通します。

*おことわり*
本作撮影中、直射日光を浴び続けたせいで、iPhone 12 Pro Max が何度か熱暴走を起こし、各々数分ずつ撮影が中断しました。ただ、本作の主題ともいえる「最終復旧区間:富岡ー浪江間」以北は中断なしに撮れていますので、中断部分には画面中に予告テロップを入れた上で、ディゾルブ(前の映像から次の映像へ継ぎ目なく変わっていく)編集を施し、そのまま作品として出すことにしました。あらかじめご容赦のほどを🙇

2011年の東日本大震災で、いわき以北で壊滅的な被害を受けた常磐線。ほどなく運転再開した区間もあれば、津波の影響を避けるべく線路を移設した区間もありました。その中で、最も運転再開が遅れたのは、福島第一原発(フクイチ)を沿線に抱える「富岡ー浪江」間でした。言うまでもなく「フクイチ」から放出された放射能の影響です。

車窓から感じとっていただけるかと思いますが、線路を境に海側には人の気配を感じません(進行方向左側=山側に市街地が移されたりしたのも理由でしょう。福島復興の様子を撮りたければ進行方向左側にせよとのご託宣も、どこかで見かけました)。駅前もシーンと静まりかえり、駅側の公共施設もがらんとしています。車窓から見える道路を行き交うのは、ほとんどがダンプカーです(フクイチの残土処理のためでしょう)。このあと、仙石東北ラインや気仙沼線BRTを乗り継ぐことになるのですが、そこで見た光景も含めて、復興事業は全然終わっていないと感じました。10年で終わるどころか、この先数十年も営々と続くのではないかと思えたぐらいです。

閑話休題。乗車したのは、コロナ禍で首都圏1都3県に緊急事態宣言(2回目)が出たばかりの微妙な時期でしたが、仙台までの間、乗客はそれなりにありました。上野から仙台まで乗り通したのは(私のような)好事家ぐらいでしょうが、途中のいわきから仙台まで乗車した人は、思いの外多かったようです。福島県の「浜通り(海沿い)」と仙台方面のつながりは、他所者が思うよりも強いようで、それだけに「仙台行きひたち」の復活は切望されていたということでしょう。

私が乗った「ひたち3号」は、朝の通勤需要や出張需要も拾いたいのでしょうか、遠距離便にしては停車駅が多い印象。それでも、相馬からは40分以上ノンストップで、仙台に向けて駆けていきます。現在は、品川・上野からの通し便が3往復のみですが、復興の進み方次第では「いわきー仙台」間の区間便も増えていくのでしょうか。そういえば、1990年の乗車時は「スーパーひたち」の自由席で、いわき(当時は「平=たいら」)から原ノ町まで座れなかったと記録にあります。この地の経済活動をどこまで持ち直せるかに、常磐線いわき以北の復調はかかっているとみていいでしょう。

テレビでしか見たことのなかった被災地の実情を、車窓を通してではありましたが、ひしひしと感じとった時間でした。もっと気楽に車窓からの太平洋を眺められる日が来んことを。

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