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長すぎた春休み

昨日、私の子供が帰寮しました。
羽田空港まで車で送って行きながら、2月の末に寮からオン出されて帰省して、この3ヶ月ちょっとの間に起きた、いろいろなことを話すことができました。
これまでの2年間は、長期休暇期間と言っても2週間ほど自宅に戻る程度でした。
ところが今回は、今までの休暇とは様子が違っていたのです。延長に次ぐ延長を経て、その間には自宅学習課題や追加、追加の課題。挙げ句の果てには、Zoomによるホームルームや体育の課題、お次はGoogleclassroomによる授業が開始され、な、何と!通称「義務自」と呼ばれる、Zoomを利用したバーチャル自習室までやることになり、いろいろな意味で、この3ヶ月の自粛外出制限期間は家族にとって貴重な体験になりました。
自分自身も遠隔授業で、週に延べ290名程度の履修者をハンドリングしなければならない状況だったので、興味深く彼の授業形態を注視して、何かいぃとこ取りができないかな?と覗いていました(笑)。
実は遠隔授業に関しては、放送大学の修士の授業形態で免疫があったので、特段の違和感はありませんでした。むしろ、お互いに非生産的な対面授業を行うくらいならば、オンディマンドが良いですよねぇ〜と他の学科の先生と話しをしていたくらいでした。これはあまりに特異的で、驚くかもしれないですが、入学してから学位記授与式までの2年間で、指導教員に実際に会ったのは2回だけだったのです。修論発表のリハ(これもM1の学生にデモして欲しいと言う要求から、この時初めてお会いしました、M1の学生はそれを聞いてビックリしていました)と修論の発表の時だけでした。一般に考えれば、有り得ない状況かも知れないですが、これが初めから約束されていた環境であれば、何ら違和感もないし(新入生ガイダンスに居なかったのは驚きましたが)、かえってスカイプのチャットとGoogleドライブに課題を毎週提出していた環境は、師との濃密な時間の共有ができたと感謝しているくらいであります。

さて、話を戻します。
予期せぬ状況で、通常対面授業が約束されていた形態が、突如、遠隔授業に移行した今の現状に。
Moocをご存知であろうか。Massive Open Online Courseの略で、欧米の名のしれた大学が率先して取り入れている授業形態であります。
何年後かの日本の高等教育でも、徐々に取り入れられる教育形態であることは、大学の教員であれば少なからず薄らとその存在を意識しなけらばならない授業のやり方だと思っていました。
 ところが突然、降って湧いたようにこのMoocのような授業を規範とした授業を、やんわりとは言え、やらなければならない状況が到来しました。
しかも、ほぼ準備期間という仕込みの時間を与えられずに要求をされた訳なんです。もちろん、これは大学当局という意味合いと学生からの期待という意味を含めての話です。大学当局に関しては、インフラが整備できていない状況で妄想のような授業は不可能であると言うのが回答として成立しますが、学生の、しかもチョット目をキラキラさせた履修者からの要望には、到底応えられない寂しい現状を回答しなければならなかったのが残念でなりません。今更言い訳にしかならないけど、もちろんパフォーマンスとしては出来るんですよ。でもお互いのシステムの環境を鑑みた時に、それがスムースに完結される状況になかったことは明白です。課題に対しての回答で出席が成立することの、ある種の虚しさは理解できます。ただし、虚しさを感じている学生に一言だけ言いたい。回答を受け取った教員が、アドバイスや何らかの示唆をしたいと感じるような回答をあなたは送信していますか?ってことです。初めのうちは、お作法がなっていない学生に対して、お小言のような返信をしました。しかし、週に延べ300近い履修者を抱えている中で、その作業をするのは正直に言って無理があるのです。課題の提出期限は、アクセスの状況を加味して1週間と設定しているので、1授業1課題に対して、のべつ膜なし毎日、時間関係なしにメールや課題の提出が来る訳です。想像してください。その状況下において、そのメールに対して、荒んだ(笑)教員の心を開けるメールって、どのような内容なのでしょうか。
 提出課題に対して、受理したかどうか分からないから、返信を要求するメールがきます。課題の提出をもって出席にしている状況なので、受理している処理ができた時点で出席情報システムには反映しています。もちろん、メールだけではなくTeamsの課題提出も併用していますので、そのリターンの作業も加味されます。全てではありませんが、要求メールをしてくる履修者の大半は返信する情熱に達しない内容が殆どです。学びを渇望するのであれば、それに見合った自学習を表現しなければリターンは無いと考えてください。単位取得だけの関係性であれば、それはそれでいぃじゃ無いですか。
以前、うちの学部の学費に対して払っているリターンとして、1授業の単価を3,000円と積算した学生がいました。(ある意味、¥3,000/h払って寝カフェ状態の学生も3限辺りには多く見受けれます)時給額に換算すると2,000円になります。授業の内容や性質によって一概に言えませんが、私は少なくても3,000円に見合う授業資料や学びとしての課題を配信しています。それを生かすも反故にするも、履修している学生次第であることを認識してください。先に述べたMoocのシステムはそう言う概念に立脚した授業形態なのです。求める者には有益な授業形態であることは明白です。しかし、ある一定の大学を卒業することがステイタスだと認識している人にとっては、これからの遠隔(リモート)授業による形態は、あなた自身を確実にダメにします。

掘り下げて話しをすれば、このことは直ぐに、あるいは既に社会や企業は認識しています。ここ数年、就活をした学生ならば、薄らとそのモヤっとした存在に気がついたと思いますが、大卒が就職有利の法則が崩れてきています。現在のシステムですら積極的な学びを行わずに、成功(を勘違いさせる)マニュアルを多用した中身の無い形骸化した大学生の薄っぺらさに、世間はちょっと疲れていますので気を付けてください。
学びの法則が変化しています。変化を認識して現状の法則に基づいた学びを正しく行ってください。仮に、現状の騒動が収束したような認識のもとで、従来の授業形態に戻ったとしても、それはそれまでの学びの環境とは違っています。学生の認識だけではなく、教員の認識も元通りにはなりません。
だって、元通りになっていたら、この間に何も学んでいないことになっていませんか。お互いに、これを機に進化しましょう。進化をなくして、次の時代は手に入らないのですから。嬉しいことに、ある意味で残念ながら、(新型コロナウイルス感染拡大前には)後戻りはできないのです。

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