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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

スタァライトのこと

・遅れてくるキリン

テレビシリーズ最終話で、キリンは「観客であり、運命の舞台の主催者」と言ってました でもそのキリンが「遅れて」来る‥では、この舞台(劇ス)の主催者は誰か?

それは「映画を観に来た観客」であり、劇場版を熱望した「舞台創造科(スタァライトファンの総称)」である

→この劇場版はファンの熱望により、作られたということ
→「皆殺しのレヴュー」あたりまでこのことはとても重要



・キリンが背負う「照明」

作品中で、舞台少女と対峙するときキリンは必ず照明を背負っている
これは「観客」の熱が舞台少女を照らす(糧となる)ということ

→この構図は他の場面でも関係性の表現として多用される

→例えば、進路相談室の場面も先生の背後に窓があり 舞台少女を照らしている

あと、観客の背後からライトが照らされるというのは「映画、映写機」のメタファー


・皆殺しのレヴュー

・「大場なな」は何者か

照明を背負って登場する 大場なな

ポジションゼロ(T)の向こう側にいる 大場なな

これは「観客/舞台創造科」としての大場なな(だから最初は脇差の刀だけで戦う←手加減という意味でもある)

ポジションゼロの向きについては舞台#2の回転舞台でも使われていた演出のようです
→ポジションゼロが逆Tのときは客席に向かって、表舞台の演技
→ポジションゼロがTのときは舞台裏のお話

大場ななの足元のポジションゼロは、ななから見て逆Tなので、大場ななは舞台少女の「観客」といえる

観客が飛び入りして戦う →華恋のモチーフ(最初は一刀なのはそれもある)であり、テレビシリーズの繰り返し、おさらい

観客の期待に応えずに(スタァライトは本音はレヴューで晒すのが決まり、なのに日常劇で「しゃべりすぎ」)、舞台創造科の熱に応えずに(101回目の星翔祭が控えているのに)腑抜けた舞台少女への大場ななによる制裁


すべてのレヴューに「塔」のモチーフを入れている(監督談)そうですが、このレヴューの「塔」は「電車、線路、トンネル」

先頭車両から連結を外されて、トンネル内に取り残される舞台少女→塔に閉じ込められるクレール

余談ですが、皆殺しのレヴューでも ばななちゃんは純那に一刀渡そうとしている→投げた脇差が純那の足元に刺さったまま→それを使って戦えるようにしている

さらに余談ですが、最初に距離をとって動かず足踏みしているのも純那に攻撃させやすくしてあげてる?(遠距離武器は純那だけ)のちに近接戦になったら脇差を足元に投げている‥ ばななちゃん‥

「なんだか強いお酒を飲んだみたい」は諸説あるようですが、監督がツイッターで発言したらしい「ストロングゼロ説」をわたしは推しています

→ストゼロのような即効性の強い、消費されやすいアニメ作品になってしまわないように〜 みたいな話らしいです

過剰にアクロバティックなアクションと派手な流血‥って今までスタァライトがやらなかったこと→ストゼロ作品みたいなことしちゃった、なっちゃったね?っていう自虐?



・幼少期の華恋、ひかり

どなたかがツイッターで幼稚園のカスタネットのシーンは歌やダンス、音楽の根源的な表現(リズムを合わせる喜び)と仰っていて、それは本当にそうだなーと思ったことと‥

挨拶をし合う華恋とひかり、は 演技の根源的な表現だなと思います、ひかりの挨拶(演技)が華恋に変化を与える(挨拶できなかった華恋ができるようになる)そして別れたあとにお互いを振り返り見る(でも目は合わない)他者の視線を意識する、観られているという意識の誕生なのかなーと

ひかりが訪れることで、華恋の開演ブザーが鳴る

キラミラ辺りで、華恋にはひかり以外の友達もできてるのに、ずーっとひかりは華恋としかいないというのも伏線


・𝑤𝑖(𝑙)𝑑-𝑠𝑐𝑟𝑒𝑒𝑛 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲とは何か?

端的に言ってしまうと、これが「101回目の星翔祭」

でもワイルドスクリーーーーーンバロックの言葉どうり、場所も時間も、演者も役も内容も、コロコロと入れ替わっていく舞台


・恨みのレヴュー

・鉄火場(鍛冶屋)のクロディーヌ‥ 双葉を焚きつけた「観客」

・舞台装置であり「照明」であるデコトラ

舞台少女がお互いを照らし合う存在であるメタファー(よくインタビューなどで、演者同士がお互いのファンですと仰っている→スタァライトスペクタクルにも繋がるモチーフ)



・競演のレヴュー

・地下鉄に乗るひかり

ひかりにとっての電車は「舞台(他人との共演)」のモチーフ

ひかりは前述したとおり、華恋以外の友達がいなく 他人と合わせることが苦手な子

作中での移動が多い(ロンドンと日本の往復、水族館めぐり等)にも関わらず、乗り物に乗る描写がほぼなく、いつも徒歩のイメージ

舞台に立つ意を決して地下鉄に乗るひかり(ちゃんと他の乗客がいる)

エンディングでひかりが電車に、自分から乗りこむのも意味がありますね‥


・夜が明けてまひるになるよ

怖かったという気持ちを吐露したひかりにまひるが金メダルをかけると「おひさまが昇る」

作品中の「照明」は、誰が観客で誰が演者なのか(誰がレヴューの勝者なのか)を示すもの、でも「おひさま」はふたりを等しく照らす、だからこそ「競演」のレヴュー

まひるちゃん!!!!



・狩りのレヴュー

・照明の当たらない星見純那

純那はレヴュー開始からずっと照明が当たっていない→唯一の光は、ばななのチェキのフラッシュ(残酷‥)


余談ですが、ばなながイギリス留学したのに対して 純那がアメリカ留学したのは星(星条旗)を目指したからだと思います(あと脚本の樋口さんが、佐藤日向さんが英語が得意だからだと仰ってましたね)



・魂のレヴュー

・舞い散る薔薇は幾原邦彦演出からの「愛」のモチーフです!!!!!(ウラネプ、ウテナ‥)

・「私はいつだって可愛い!!」のカット最後でニヤッと笑う真矢様‥(まさかと思ったらBlu-ray特典のトランプでネタバラしされてましたね‥ うおおおおおお!!)

・最後、左目だけ泣いてる真矢様‥(右目は悲し涙、左眼は嬉し涙らしいです)

・常に「全力」であったはずの真矢が、クロディーヌに追い立てられるほど、舞台装置が豪奢になっていく(舞台装置は舞台少女のキラめきに応じる)というのがまた‥ 尊‥

・シンエヴァとの「神殺し」被り‥ 運命‥



・スーパースタァスペクタクル

・情熱暴走列車、愛城華恋‥

・絆のレヴューと同様にお互いを照らし合う華恋とひかり

「わたし、ひかりに負けたくない」は「私たちは絶対一緒にスタァになる!」との対語、あの日の約束の崩壊



・わたしたちはもう舞台の上

エンディング、各地に散った舞台少女をめぐっていくひかり、これは「戯曲 スタァライト」そのもの‥

→そして電車に乗りこむひかり、電車はひかりにとっての「舞台」のメタファー‥ 今、このとき ひかりも次の舞台へ向かって歩き出す

華恋が受けるオーディションは「愛城華恋 役」のオーディション、スタァライトが輪舞し続けていくという証

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