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#5 アレルギーの恐ろしさを改めて知った朝

深夜2時半。
実家に居る奥さんから、LINEが入った。

「起きてる?」

たまたま起きて読書をしてた僕は、何気なく返信した。

「起きてるよ。」

すると、すぐに携帯が鳴った。

「もしもし、どうした?」

電話の向こうから、涙声で途切れ途切れ言葉が帰ってきた。
「苦しい。目も喉も腫れて、蕁麻疹が出てきた。
痒い。苦しい。」

その言葉を聞いたとき、10年前の出来事を思い出した。

食物アレルギー。
食べるのが大好きな奥さんを襲った突然の悲劇。
それは、想像を絶する恐ろしさだった。

まぶたは大きく腫れ垂れ下がり、呼吸が乱れてる。

あの頃は子供を授かりたいと強く願ってた時期で、
色々なことが頭をよぎった。
蕁麻疹と腫れによる身体の変化は、とてもショックだった。

「えびアレルギーですね。」
診察後、医師からそう告げられた。
確かにその日の夕飯は、えびフライが食卓に並べられた。
奥さんは、えび料理が大好物だった。

大好きな食べ物を我慢しながら、あれから10年。
エビには細心の注意を払い生活してきた。

奥さんの実家まで片道20分。
深夜の田舎道を、色々な気持ちを抑えながら車を走らせた。

着いたら奥さんは玄関で僕を待っていた。
すでに目が腫れ、あの頃よりも辛そうだった。
僕は急ぎ、深夜の救急外来に車を走らせた。

車内で、夕飯何を食べたのか聞いた。
イカ飯。
昨夜はお酒を飲まず、それしか口にしないで早めに横になったと。

まさか、イカ?

いやいや、先日のひな祭りでも食べてたし、ていうか年がら年中食べてるから、それは無いだろう。
僕はイカではなく、えびのエキスの含まれたお菓子でもうっかり食べたんだろうと思った。

平静を保つ妻を横目に、病院に着いた。
あの時と同じ深夜の救急外来。
深夜3時半を回っていた。

受付に立ち寄ると、声を掛けても人が出てこない。
ブザーを何度も鳴らし、呼び掛けた。
寝ぐせ頭のおじさんが、慌てて応対に来た。
寝起きのせいか、口が回ってない。
後ろでは奥さんが苦しんでる。
事の重大さが分かってないことに、僕は苛立ちを覚えた。

手続きと問診票の記入をしてる間に、奥さんの呼吸が乱れ、所々出てた蕁麻疹が一つの塊となって大きくなってきた。
更に痒みも増し、座っているのも苦しい状況だった。

到着から20分後、看護師さんが来た。
淡々と手慣れた感じで、血圧と脈・体温を計り始めた。
血圧は平静時よりも大幅に下がり、体温計を取ろうとしたその瞬間、
そこから一気に様相が変わった。

妻が看護師さんの呼びかけに応じず、身体はダランとしている。
目も開かない。

看護師さんが大声で呼びかける。

僕はその姿に、恐ろしくなった。
考えてはいけない最悪のことを考えてしまった。
必死に叫んだ。
何度も何度も奥さんの名前を。

ストレッチャーに乗せるタイミングで、お医者さんも来た。

僕とお医者さんと、看護師さん二人で奥さんをストレッチャーに乗せた。
その間も看護師さんの呼びかけは続いてた。

ストレッチャーが処置室に入るのを、僕は呆然と眺めていた。

待機してる廊下に、看護師さんの声と心電図モニターの音が聞こえてくる。

その瞬間、僕は奥さんにたくさん支えられてきたんだなと、涙が溢れてきた。
数々の思い出よりも、子どもたちの顔が浮かんでくる。
「どうか!どうか!」
廊下に聞こえてくる音をかき消すために、何度も何度もお願いした。

時刻は6時になろうとしていた。
2時間近く待機していたが、時間の感覚がなかった。

その時看護師さんから名前を呼ばれ、診察室へと入っていた。
お医者さんの前に座ると、点滴を打つ奥さんの姿が見えた。
安心と緊張で、心が苦しかった。

お医者さんから出た第一声は
「アレルギーによるアナフィラキシーショックです。」と言われた。
アナフィラキシーという言葉に良いイメージがない僕は、一気に緊張が走った。

「結構やばい状況で、遅ければ危なかったです。」と。
奥さんはギリギリな状況にあったことは、間違いないようだった。
今日は、このまま入院して様子を見ると言われ、過去のアレルギー症状について聞かれたあと、奥さんのもとへ向かった。

腫れは引き、僕の呼びかけにも応えてくれた。
良かった。
本当に良かった。

お医者さんと看護師さんに、感謝の言葉を述べて診察室を出た。

病室へと向かう空いた10分間ほどの時間で、僕は自分の中の価値観・価値基準を再考察した。
そして、時間の使い方も。

家族・仕事・お金。
この3つが僕の中の上位を占めている。
でもバランスが良かったとはとても言えない。
偏って、時間の配分も上手くできてなかった。

当然バランス良く、自分の都合よく出来ることではないと分かっている。
何かを得れば、何かを失う。これは当然のことである。

でもね、今日みたいな体験をすると、
今まで支えてきた自分の信念が揺らぐんですよ。

家族のためといい、家族との時間が減る。
社会のためといい、家族との時間が減る。
生きるためといい、家族との時間が減る。

減るばかりの行動をしてきたと思うと、なんか自分に腹が立って、残された時間をどう生きるか考えたんです。

でもまともな思考回路じゃないから、頭の中に浮かんでくる言葉もごちゃごちゃ。収集つかなくなってきました。

そうこうしてる内に病室へ運ばれ、ベットに横になる奥さん。
看護師さんが立ち去ったあと、点滴と呼吸器を付けた姿でこう言いました。

「父ちゃんありがとう。」

この当たり前の言葉が、凄い心に刺さりました。
嬉しすぎて、ちょっと強がることを言ってカッコつけました。そしてね、さっきまでごちゃごちゃ考えてたことの答えが出たんです。

「あー、もっとこの人と居たいな。」

結婚して14年目。
子宝に恵まれたのも奥さんのおかげ。
今の人生があるのも奥さんのおかげ。
僕、貰ってばかりだと気付いたんです。たくさん苦労掛けてきたのに。

だからね、これからはたくさんの贈り物を、
奥さんに届ける生き方をしようって。
軸として心の真ん中に据えました。

起きた物事は捉え方によって人生は大きく変わるって、
どっかの偉い人が言ってた。
今日みたいなことは、二度と起きて欲しくないけど、
人生を再び見つめ直すきっかけにもなったと、僕は前向きに捉えます。

病院を出ると、きらびやかな日の光が僕を迎えてくれました。
新しい朝に感謝です。





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