42. フチのウパシクマ

 わたしは、七歳のときに母を失い、八歳のときに父を亡くしたので、エカシ(祖父)とフチ(祖母)に育てられて、どうにかおとなになった。

 そのフチが亡くなったのが昭和三十年(1955)の三月二日である。

 あれから数えて十八年、こうして現在まで生きてこられたのも、このフチたちの力であったと、年月を重ねるごとにむかしをなつかしく思い出す。

 アイヌ語に「カツケマツ」ということばがある。
 誠に、フチこそは、そのことばにぴったりの女性であった。カツケマツとは、すなわち、美人で利口で働き者という意味である。

 わたしたち兄弟は、このフチが話してくれた”むかしのアイヌ社会のいろいろな話”を現在でもときどき思い出し、それを教訓にして生きつづけている。

 フチは、どんな災難にぶつかっても、勇気を出し、落ち着いて行動すれば、必ず活路を見いだすことができるであろう、と教えてくれた。

 そこで、フチの語ってくれた話なのだが‥‥。


*


 むかし、シケレベコタンに、フチの孫爺さんにあたるエカシで、有名なイソンクル(強い人)が住んでいたという。

 名は、アバカアイヌといったが、非常に勇気のあるアイヌで、猟の中でも特に熊捕りの名人であった。彼の手にかかると、どんな性悪な熊でもわけなく捕らえられてしまうので、山の親爺ともいわれる熊たちには、非常に恐れられる存在でもあった。

 ある冬のことである。

 アバカアイヌは、シケレベのコタンからヌカビラ川の上流ソウシベツにある彼のイオル(狩の区域)の中のクチヤチセ(狩猟小屋)へ妻を伴い雪の道を歩いていた。

 これからクチヤチセに寝泊りして、一か月も猟をつづけるための食糧や寝具などを、妻にも背負ってもらって行こうというのである。

 途中、ヌキベツコタンの知人のチセ(家)で一休みした二人は、夕方、ソウシベツへ着いた。そしてすぐに、狩猟小屋へと急いだ。

 木の間から降り積もった雪の中に、狩猟小屋がぽつんと見えたとき、二人はやれやれと一息し、足を早めた。

 二人が近づくと、狩猟小屋の中から異様な雰囲気がただよっている‥‥。

 注意深く入り口をのぞいて見ると、うす暗い小屋の中で、宝石のようにキラキラ光る二つの目がこちらの方をじいっと見つめているのだった。

 ものすごい大きな熊が、狩猟小屋の中で二人が近づくのを見て、毛を逆立て今にも飛びかかってくるような気配である。

 彼は、注意深く小屋の入り口を見ながら妻に耳うちをした。
「おれはしばらくここで焚木を取っているふりをしているから、おまえは先に逃げて、メムの人たちに知らせてくれ。おまえが十分逃げたころ、俺も行く。荷物はそこへ置け。小屋から少し離れるまで走ってはいかんぞ。」

 妻はうなずくと、小さな声で、
「あなた、気をつけてね。」
といい、静かに荷物を背中からおろすと、注意されたようにそろりとその場を離れて、木の間にはいった。自分の姿が見えなくなったころあいを見て、夫の身を気づかいながら一心に走り出した。

 焚木を取るまねをしながら、熊の目を自分に注がせていた彼は、いっそのことすきをみて、矢で射ちとめようかと考えた。しかし、真冬の寒中に宿なし熊が、自分の狩猟小屋で、自分を待ちぶせしているほどのウエンユップ(性悪熊)である‥‥。

 彼は、背負っていた荷物を足もとに置き、矢筒を背中につけ、腰にあるタシロ(山刀)を確かめてから左手に弓を持った。いつでも戦える態勢にはいれるように、静かに準備を整えたのだ。

 熊の方も、荒々しい息使いをし、低いうなり声をあげて、すきがあればいつでも飛びかかれる態勢にはいっている。

 熊と彼との間は、十メートルぐらいもあっただろうか。

 彼は、妻の走っている距離を頭の中で判断した。そのとき突然、あたりの静けさをつき破るように、熊は一声すさまじいうなり声をあげて突進してきた。

 瞬間、素早く彼の弓からも一矢がはなたれ、熊の首のつけ根あたりに命中した。確かに手ごたえはあった。

 だが、この熊は、ほんとうにウエンユップなのだ。全身に、松やにをぬりたくってあるので、毛がかたまってしまい、ちょうどよろいをつけているような感じである。

 彼の矢などぜんぜん効果がなく、肉までとどかないのだ。もし、二、三センチでも熊の体内にくい込めば、矢尻につけてあるスルク(猛毒)によって倒れるのであるが‥‥。
(賢い熊は、この矢の毒を防ぐために全身に松やにをつけ、身を守るといういい伝えがある)

 突進してくる熊に、あやうく体をかわした彼は、焚木に集めた棒をとり、熊の頭をめがけて力いっぱい一撃、二撃とたたきつけた。そして、熊がいくらかひるむすきに、今きた道を夢中で走りだした。熊も彼の後を追って走ってくる。

 夏山の足場のよいところを走るのと違って、深い雪の上をテシマ(雪輪)を足につけて走るのだからなかなか思うように走れないのだが、彼の足はものすごく早かった。

 ソウシベツの沢の入り口を出て、モソシベツの小沢を過ぎ、メムの原野へ出た。このあたりは、白一色の雪原で、広い見通しのよい場所になっている。

 彼は、妻の姿が雪原のはるか彼方にぽつんと小さく目に写った。あとわずかで妻はコタンにつくと思うとほっとした。

 彼の足は早い。しかし、熊もまけていない。四百キロもある巨体をうねらせ雪煙をあげて追いかけてくるのである。

 彼は走りながら後をふり返り、何度か矢を射かけたが、松やにのよろいをつけているこの大熊には、どうしても歯がたたなかった。

 走ってるうちに、前方に鹿を追いつめて捕えるために作られた柵が見えてきた。柵の高さは雪の上でも二メートルぐらいはある。この柵を飛び越えなければいけないのだ。もちろん柵の出入り口はあるが、ここにいたってはさがしている余裕などはない。

 彼は心の中で神に祈った。神よ、どうか我をこの柵を無事に飛び越えさせ、危急を救ってください!と‥‥。

 勢いにのって走ってきた彼は”エイッ”と全身を宙に浮かせた。と、そのとき、柵の横棒の小枝の節に右足のテシマがひっかかってしまったのである。その瞬間、彼の体は宙づりになっていた。

 真っ赤な口をあけ、恐ろしいうなり声をあげて熊は彼に襲いかかった。

 テシマのひっかかった小枝はぼっきり折れ、彼の体は自由になったものの、すぐに熊に押さえつけられてしまった。

 しかし、勇気のある彼は、絶対にひるまなかった。全身をふりしぼり、熊とものすごい格闘がはじまった。

 ところで、熊にはおもしろい習性がある。それは、人間をつかまえると、力いっぱい放りあげ、落ちてくるのを受けて、また放りあげる‥‥、ということだ。

 彼は、何回か放りあげられているうちに、かなりの重傷を負ってしまった。背中には数か所の深い傷、頭の皮膚も半分以上するどい爪ではがされてしまった。完全に打ちのめされた状態である。

 そのとき、メムのコタンの人たちの急を聞いて駆けつけてくる声が、遠くの方から聞こえてきた。

 その声に、熊が気をとられた。と、そのすきを彼は見のがすはずがなかった。出血が多く意識もうろうとしている自分のからだにムチ打ち、タシロをしっかり握ると、こん身の力をふりしぼり、熊の心臓をめがけてつきさした。

 さすが、獰猛な大熊も、急所をさされてがっくりと力尽きたとばかりに、横に倒れた。

 彼も、その姿を見ると、意識を失っていた。

 間もなく、メムの人たちが現場に到着した。彼らは、その恐ろしい光景に目をみはった。あたり一面白い雪の上は真っ赤な血で染まり、地獄絵図そのものなのである。

 熊の巨体のそばに倒れている彼に、いそいで応急手当が施された。

 アイヌ独特の血止めの方法があるのである。頭の皮ふも、もとの位置に合わせてほうたいされた。片方のやられた目にも手当てを‥‥。急ごしらえのたんかにのせられて、彼はメムのコタンへ運ばれた。

 彼は、一時重態であったが、コタンの人たちと妻の必死の看護で、どうやら命はとりとめた。

 アイヌたちにいわせると、熊にやられた傷は割り合い回復が早いという。彼も一か月ほど静養すると、片目は失明したが、無事にシケレペのコタンに帰ることができた。


*

   この勇敢なアイヌの孫が、わたしのフチ(祖母)である。

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