45. あとがき            郷内満 若林勝

 私たち人間は、よく知らないのに知っているという錯覚をおこす事があります。そしてその事は、価値を歪めるどころか真実の姿を見失わせるという、おそろしい体質をもっているのです。

 アイヌに対する日本全体の認識は、最もよくそれを示しているでしょう。

 みなさんは、この本を読んで、きっとたくさんの事に気づいてくださったと思います。そして、もっともっと知りたいとか、考えたいと思ってくださったかも知れません。

 ここに手記を寄せたアイヌの人たちは「あたりまえの現代日本人」として自分たちを知ってほしいと痛切に訴えています。

 長い間、数限りない差別や不利益を受けながら、アイヌの人たちがじっと歯をくいしばって耐えてきたのは、なぜでしょう。それは、必ず”ほんとうの事をわかってくれる時がくる”という期待、それだけだったのです。

 しかし、観光をを主とする北海道のイメージ化の中では、この願いとはまったく逆に、原始生活に近い姿のアイヌが浮きぼりにされ、歪みが深められていったのです。”報われざる先駆者”ーそれは、アイヌの人たちのためにあることばであるかも知れません。森と湖に代表される美しい自然ーそして近代化した北国の街々ーこの北海道の今日の発展の歴史は、わずか百年を経たにすぎません。

 和人の侵略的開拓が、真の先駆者の一切を無視し、本州に追いつくことに最大の目的がおかれました。まさにつくりあげられた新生日本ともいうべき北海道の姿なのです。三百二年前(1670)、一方的に和人の体制に組みしかれたアイヌの人びとが、明治の日本の夜明けには、たったひとつ残されていた人間のこころまでうばいさられたのです。”ものいわぬアイヌ、じっとたえしのび、時の流れにたったひとつの望みをかけたアイヌ”百年の流れは、こんな現実をつくりあげてきました。

 輝かしい先駆者の栄光をにないながら、人間の尊厳を無視され、いつまでも保護民族であるかのように位置づけられてきたアイヌの人びとの苦悩を、まず知らねばなりません。

 そして、今、アイヌの仲間は、各地で、古老も青年も積極的にアイヌを正しく知らせる運動を展開しはじめました。数百年の厚い歴史の壁をつきやぶって、ようやく、アイヌ(人間)を知らせる運動がスタートしたのです。

 私たちは”人間である”ということに麻ひしてしまっています。アイヌの人たちの切々たる訴えは、”人間とはなにか”という最も基本的な原点を厳しく提示しているのです。

 真実を知らないことの恐ろしさ、知らせることの大切さを深く考えてほしいと思います。真実を知らないことの恐ろしさが偏見となり、差別を生むのです。その事を気づかせる運動、これがいつまでも人間の尊厳を貫く大切なことなのです。

 私たちは、数多くのアイヌの友人を持っています。七十歳、八十歳の老人から、十代の若者まで、地域も、北海道から東京方面まで広がっています。そして、この友人から、いつもたくさんのことを教えられます。特に、アイヌの人が最も大切にし、誇りにしてきたのは”人間のこころ”であるということを学びました。会社員、教師、農業、漁業‥‥たくさんの職場の中でまったく他と変わりなく生活を築きあげている現代のアイヌの人びとに、むかしと変わらない人間のこころの尊厳が生き続けているのを知ることができました。巨大な経済成長と文化の進展のかげに、とかく失われがちな日本人のこころを、この人たちこそ大切にして生き続けているのです。

 この本を作るにあたって、アイヌの友人は、いそがしい毎日の中から、いっしょうけんめい原稿を書いてくれました。今まで”いつかきっとわかってくれる”と、時の流れに望みをかけてきた人びとが、”正しく知ってもらうことの大切さ”に目覚め、書きつづってくれた最初の告発なのです。

 何度となく書き直したあとがはっきりしている原稿を読むと、どんなことば、どんな文でも表現しきれないこころの中をどうわかってもらったらよいか、というもどかしさが感じられ、胸が痛くなりました。

 アイヌの人の手によって、アイヌを正しく知らせる本が世に問われるのは、日本で最初のことです。しかも、それがあなたたち少年少女に向けて呼びかけたのがこの本なのです。そこには、”今の子どもたちが築くこれからの社会には、私たちが体験した苦しみを二度とくり返してはならない”という血のにじむ願いと、”我々の手でそのことをつかみとるのだ”という自覚がこめられているのです。その意味において、この一冊の本がどう役立ってくれるか、祈りに似た気持ちで偏さんしてきました。

 原稿依頼を快く受けてくれ、つかれたからだで夜遅くまでエンピツをにぎってくれた仲間たちー。

 締め切り間近、遠く阿寒から、往復八百キロメートルも車を走らせて原稿を届けてくれた青年ー。

 ”がんばってください、わたしたちはこの日を待っていたのです”と目に涙を浮かべ、深々と頭を下げた老人ー。

 仕事のやりくりをして、原稿の整理に協力してくれた東京の女性ー。

 その他数多くの人の限りない協力によってこの本が生まれたことを記すると共に、執筆されたアイヌの友人はもとより、それを支えてくれたより多くのアイヌの人びとに、深い敬意と感謝をささげます。

 現時点の中で相当の困難に直面しながら、この書を世に問う機会を生みだしてくれた牧書店の田中氏、ならびに編集部の方々、この出版に最大限の協力と励ましを惜しまなかった本桐小学校の先生方、そして子どもたちとその父兄、および地域の皆さんに限りない感謝をささげます。

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