18. ひとつの青春          会社員 二十歳

 私は中学を出てから、家があまり豊かでないので、札幌市へ就職しました。

 でも、勉強はとてもすきだったので、高校の通信教育を受けて、学校と職場との間をいっしょうけんめいにやってきました。でも、はじめて出てきた都会で、そして他人のところで働くとは、ずい分と自分に疲れを感じさせたものでした。

 私は、日高でも割り合いアイヌの少ない所の生まれでしたから、学校へ行ってたときも、アイヌだからって苦しんだり、差別されたりして泣いたことは、たった一度しか記憶しておりません。そして、それもすぐに忘れてしまい、だれとも変わりない学校生活が送れたわけです。

 札幌へ出て、一年、二年とたつうちに、私にはたくさんの友だちができました。

 その中で、私はなんとなく心がひかれ、おつき合いをするようになった男性がひとりおりました。

 何度かお話をしたりしているうちに、大変よい人であり、私の心の中に”こんな人と結婚できたらいいな”なんていう考えが生まれてきたものです。

 あるとき、彼は私に、
「ぼくの家に行ってみないか。」
といいました。

 私は、うれしくてよろこんでおじゃまさせていただきました。家の人たちを紹介していただき、とてもしあわせな気持ちでいっぱいでした。

 ところが、つぎに彼と会ったとき、彼が、いつになく口数の少ないのに気がつきました。
「何かあったの?」
と、たずねると、彼は、
「いや、‥‥実は、うちの両親が、君のことを、アイヌでないかって、いうんだよ。」というのです。私は、
「あら、そうよ、その通りよ、私、アイヌよ。」
と笑っていいました。

 つまらないことだからです。

 でも、彼は、
「やっぱり‥‥。」
といったまま、口をつぐんでしまったのです。

 私は、そんな彼に心が重くなり、用事を思い出したふりをして、心残りながら別れて帰りました。

 その後、彼が、
「出てこないか!」
と電話をかけてくれたとき”ああ、やっぱり彼だな、あのことについては、何とも思っていなかったんだな”と、ほっとして、明るい気持ちで出かけて行きました。

 いろんな話をしているうちに、彼はふと私にこういいました。
「ね、ぼくたち、やっぱりおたがいにすきなんだから結婚しようよ。でも、子どもは、絶対つくらないようにしようね。」

 私は、目の前がぼうっとしてきたのをはっきり感じました。

 彼ができるだけ私をたいせつにし、理解してくださったことはよくわかっています。しかし、このひと言は私にとって、あまりにショックでした。

 彼が、私たちも一代で、子どもを残さないというのは、一体何を意味するのでしょうか。アイヌといわれるその血を否定しているからなのです。

 私は、アイヌからのがれたいと考えたことはありませんでしたが、アイヌでありたいとも思いませんでした。それは、私がこれから生きていくうえに、何らかかかわりのないことだと信じていたからかも知れません。

 私はこのことから、自分が一生背負うアイヌの重荷を、いやでも深々と感じねばなりませんでした。

 私は、やはりアイヌといわれても、アイヌを逃げずに生きていきたいと思います。なぜなら、私は女です。私が私のかわいい子どもを生み育てることのできない結婚は考えることができません。たとえ、その子が、また私と同じ重荷を背負うとしても‥‥。

 その後、ときおりかかってくる彼の電話。なぜかためらいがちに感じられる彼の「モシモシ」という声が耳にふれるたびに、私は、その受話器をおろしていました。私の青春のひとつの思い出として、いつまでもたいせつにしたいと思いながら。


***2  若者たちの苦悩

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