14. ふつうなわたし         主婦 二十歳

 わたしが中学を出たのは四年前でした。

 わたしの家は、あまり裕福でなく、母が病気がちでしたので、早く就職し、少しでも生活を楽にしたいと、小さいころから考えていました。

  北海道にいると、わたしたちのこと(アイヌであること)は直接向かっていわなくても、陰でこそこそよくないことを話し合っているのを知っていたので、勤めはできるだけ東京の方がよいな、と思っていまいした。そんなところへ、担任の先生から、
「ちょうどよいところがある、行ってみないか。」
と、すすめられ、とてもうれしくなって、すぐに決心しました。

 母や叔母は、
「あまり遠くへ行ったら、いろいろ心配だから‥‥。」
といって、すぐには許してくれませんでしたが、わたしが熱心にいうものですから、それに負けて、
「東京には、いろんな人がいるから、遊びぐせがついたら大変だよ。ともかく、まじめに働くんだよ、まじめに。」
といって許してくれました。

 わたしは、東京という大都会の中で、今までのもやもやしたものを忘れて仕事ができるというよろこびで胸がふくらみました。

 わたしの勤めたところは、あまり大きくないある種の容器をつくる工場でした。寮は二人部屋で、年配の方と同室でした。なんでもその方は、子どもさんがいたそうですが、小さいときに亡くなられたとかで、とてもやさしい、いい方なのでほんとうによかったとほっとしたものでした。

 また、友だちも二人、三人とできました。

 ある夕方、食事がすんだあと、その友だちといっしょに、おふろにでかけました。

 わたしはそのとき、実はとてもいやな予感がしたのですが、そんなことは自分の思いすごしだ、と打ち消して出かけたのです。

 おふろへ行って、わたしが裸になったとき、友だちは突然「あらっ」といったきり、だまってこのわたしを見つめるのです。

 わたしは、その視線のもつ意味が、いやというほどわかりました。わたしはそそくさと洋服を着て、だまって寮へ帰ったのです。

 その翌日から、わたしはまったく別な存在にされました。

 ただ、だまっていてくれたならそうでもないのですが、そのうちに、
「あんた、すごく毛深いのね、おどろいちゃった、熊みたいね。」
とか、
「北海道のアイヌって、あんたのこと?やっぱり気持ち悪いわねえ。」
などと、平気でいうのです。

 わたしは、じっと下をむき、からだの震えをこらえるのが精いっぱいでした。

 同室の方はそんなわたしを、いろいろと慰めてくれました。また、友だちの不きんしんな振舞を、すごく怒って注意してくれました。

 しかし、その人の好意は逆にわたしを特別視していくことを広げてしまったようです。
「なによ、あの人、かばってくれる人いるもんだから‥‥」という、ものの見方ができたのです。

 でもわたしは、たえようと思いました。

 母や叔母が、はじめ反対したのを説得して出てきたのですから、なんとしても、がまんしなければ、と考えたのです。また、きっと、日がたてば、そのような見方や接し方がなくなるだろう、わたしが、ごくふつうの人間だということがわかってもらえるだろう、と信じたのでした。

 ところが、一向にわたしを見る目は変わりませんでした。

 あるとき、わたしが外出から帰って自分の部屋にはいると、隣の部屋で数人の人が大変たのしそうにおしゃべりしているのが聞こえてきました。
”ああいいな、わたしはいつになったら、あんなたのしい中に入れてもらえるのだろう”
と思うと、急に悲しくなり、とめようもなく涙がでてくるのです。

 急に隣の部屋の話し声が静かになりました。ひそひそ話になったようすに、わたしの耳はきっとなっていました。いつの間にか、人が声をおとすとき、わたしはとてもいやなことを直感的に感じてしまうようになっていたのです。
「そうだわね、あの人があんなんだもの、あの人のおかあさんは熊そのものよ、きっと。」
の声と同時に、大爆笑の波は一つの壁をつき通し、わたしの全身をたたきのめしました。

 わたしは自分のからだから血がひいていくのを、止めようもありませんでした。

 わたしの足は、いつの間にか隣の部屋にはいって行きました。「アッ」とおどろいた何人かの視線の中で、わたしは、ただだまって立っていました。

 くちびるが、わけもなくけいれんし、心の中で、なにかを叫びたいあついかたまりが、ぐらぐらとたぎっているだけです。

 しかし、わたしはひと言もことばを口にすることもできず、号泣とともに、たたみにうつぶしてしまったのです。

 その夜、わたしはわずかな荷物をまとめ、その部屋とお別れしました。同室の方に、なにもいわずに行くのは大変申しわけなく思いましたので、一枚の紙切れに、ひと言書き残しておきました。


 わたしは負けたくありませんでしたが、わたしは母を傷つけたくありません。わたしは、東京という大都会の中に、人間はいないと思います。わたしは、どんなところでもよいから、わたしがただの十五の女の子でいられるところを求めていきます。

 おせわになりました。

 わたしは今、いわゆる妻の一人です。

 わたしが結婚を申し込まれたとき、わたしは何もかもふりすてて、その人のふところへとび込みました。

 一生かかってもわかってもらえないであろうと考えていた、わたしの”ふつうの人間”を、こんなに早く認めてくれた人こそ信じてあまりあったからです。

 わたしも今、働いています。

 わたしの顔は、ずっときれいになったと、自分で思っています。かげのない心が、わたしの顔を明るくしてくれているのです。

 あの忘れがたい東京、その東京は今もあのときと同じ姿をもっているのでしょうか。


***2  若者たちの苦悩

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