09. 声 ききとりから         主婦 四十五歳

 わたしは、平取に生まれ、そこの学校へ行ったのですが、平取では大半がウタリなので、のびのびとしていて、一年生のときはいばっていたくらいなんです。

 ところが、家のつごうで、二年生になったとき、歌笛に移ったんです。

 貧乏だったので、すぐ学校には行けなくて二年生の二学期になってから、歌笛の学校へ行ったんです。

 そこの先生が「平取で甲がいくつあった」と聞いたので「みんな甲」と答えました。そうであったからです。先生は「えらいね、これからもがんばりなさいね」といってくれ、とてもうれしい気持ちで、学校へ通い始めました。

 一週間ぐらいは、なんともなかったのですが、それを過ぎるころから、もう、いじめるのなんのって‥‥。

 二里半(約九キロメートル)の炭焼きの道を通っていたのですが、いじめられないのはこの道を学校へ行くときだけです。

 授業中、手をあげると、みんなに笑われ、休み時間や学校帰りには、よってたかって‥‥。毎日毎日いじめられ、泣かされない日はなかったです。

 それで、わたしは学校へ行くのがおそろしくなって、ほとんど休むようになり、それっきり学校をやめてしまったんです。

 わたしはアイヌに生まれたばっかりに、一年生だけの学問しかない。どうして、そんなにわたしをいじめたのか。そうでなかったら、自分はもっと勉強できたのに‥‥、と思うと、今でも残念で無念でたまらないのです。

 これからは、差別をしないで、まっすぐのびていける子どもたちを育てる政治や教育をしてほしいものです。


*** 1 今日まで生きてきて

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