19. 自覚を求めて          主婦 二十六歳

 わたくしが、小学校のころ受けた差別、それはひどいものでした。

 学校の行き帰り、教室で、廊下で、校庭で、毎日毎日「アイヌ、アイヌ」とののしられ、石をぶっつけられていました。

 なぜアイヌという人種がいるのか‥‥。

 なぜ自分がアイヌに生まれたのか‥‥。

 なぜアイヌは差別をされるのか‥‥。
と、いっしょうけんめい考えましたが、わかるはずがありません。

 わたくしにとって、学校は勉強する所でなく、じっと差別に耐えなければならないつらい悲しい所でした。

 それでもわたくしは、学校を休むことができませんでした。

 小さいとき、父をなくしたために、あまやかされて育ったのですか、学校でいじめられることにはいっさい同情されませんでした。

 いつもやさしいおばあちゃんに、
「アイヌといわれたら、ハイといいなさい。泣かされたら、うんと大きな声で泣きなさい!」
と叱られ、学校へ行きたくないと、ダダをこねると、ボウを持っておいかけられたりしました。

 中学にはいってからは、露骨に「アイヌ」などという人も少なくなり、また、友だちもでき、すきなスポーツもやれて、たのしい日が多くなっていきました。

 しかし、小学生のころの心の傷は消えることなく、いつも心の片すみに劣等感をもっていました。

 わたくしが十八歳のとき、一家の柱であったおばあちゃんに死なれ、世間というものをイヤというほど知らされました。母と弟と三人で、さんざん苦労しました。おとなしくて内弁慶なわたくしでしたが、しだいに、世間に対して身構えるような激しい気性に変わっていきました。

 わたくしが劣等感から解放されたのは、二十歳になって、ペウレウタリの会に入会してからです。
”若い仲間として、日本人として集まり、たがいの心の壁を取り除き、親睦を深めるとともに、社会に根強く残る偏見と差別をなくし、たがいが心を傷つけ合うことのない住みよい社会を築こう”という正面からアイヌ問題に取り組む目的に感動して、わたくしも自分自身の問題として真剣に考え、いっしょうけんめい活動に参加しました。

 多くの仲間を得たことで、わたくしはどんなに勇気づけられたか知れません。

 はじめのころは、
「今さら、アイヌだ、シャモだとさわぐことはない。」
「学生にアイヌが利用されている。」
「忙しいのに、人をたくさんよせて遊んでいる。」
などと、中傷されましたが、会の目的を考えると、そんなことばには負けていられませんでした。

 十勝は特にアイヌ問題が多く、農村などは流動性がないため、差別意識が根強く残っており、活動は困難でした。

 中心になる男性会員に恵まれず、キャップはいつも女性で、内面的にも対外的にも問題があり、ずい分損もしました。

 あるときなど、アイヌの青年が事件を起こしたとき、十勝の小さな地方新聞が”旧土人を追う”という大きな見出しでこれを扱いました。会員の中には、旧土人という呼び名がアイヌをさしていることを知らず「旧土人ってなあに?」と聞く人もいました。良識あるはずの新聞社が、この記事によって、傷つく若者がいることも、和人の、アイヌへの差別感情に拍車をかけることも考えていないのです。

 わたくしたちは、アイヌの会員と和人の会員に分かれて、この新聞社へ新聞を買いに行きました。すると、和人の会員は無料でもらってきたのに、わたくしたちは一部八円のお金を取られました。

 その後、記事の扱い方について抗議に行きましたが、相手側の冷たい態度に圧迫されてしまい、泣きたいほどのくやしい思いをしました。

 他にもいろいろな問題がありましたが、わたくしが会にはいってから感づいたことは”差別をなくしましょう”と社会に訴えるだけではだめだということです。アイヌ人の一人ひとりが自覚をもち、差別など受けつけない強い人間にならなければ、いつまでたっても問題はなくならないということです。

 わたくしは、三年前に結婚しましたので、それ以降あまり会の活動には参加できませんが、いつも、もうすぐ二歳になる娘の将来を考えています。娘には、わたくしの子どものころと同じ思いをさせたくありません。

 わたくしの若いころは、好きな人がいても結婚を考えるのがとてもいやでした。まして、アイヌの人との結婚は絶対しないと考えていました。理由は、生まれる子どもがかわいそうだからです。

 ですから、今の主人をすきになったときは大変悩みました。主人は一見アイヌには見えませんが、わたくしと同じアイヌです。いろいろ考えたすえ、”結婚しても子どもを生まないことにしよう”と思いました。

 このことを親友に話したところ、
「あなたはアイヌであっても強く生きているのだから、あなたの子どもだって、あなたしだいで強く生きられるんじゃないかしら。」
といわれ、ハッとしました。いつも劣等感などもっていないつもりでしたが、やはり、心のどこかでは”アイヌでありたくない”という意識があったのです。

 結婚をして、子どもを生んでみて、はじめて親の気持ちがわかりました。子どもをもつしあわせと、親としての責任を強く感じています。

 今は、わたくしの子どものころのような激しい差別はありませんが、阿寒湖畔のような、変にアイヌがもてはやされている観光地でも、地元民の中には、潜在的に差別意識があるらしく、子どもが学校で「アイヌ!」といわれたという話を聞きます。こういう話を聞くと、わたくしも子をもつ親として身のひきしまる思いをします。

 すべてのアイヌの子どもたちに、アイヌの歴史や文化を正しく認識させて、差別や偏見などを受けつけない人間に育てることが、わたくしたち親の責任だと考えています。

 わたくしの子どもたちの時代には「アイヌ」ということばが、悪口に使われることのないよう願わずにはいられません。


***2  若者たちの苦悩

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