38. 観光地のアイヌウタリ      木彫り師 二十八歳

 よくいわれることですが「アイヌはもう一般和人と変わりない日本人なのだ」‥‥と。

 そうなのです。たしかに一見してそうなのですが、しかしそのことばを全面的に受け入れるには、どこかシックリいかないのです。外見だけではわからない何かがあるのです。

 今のアイヌの生活は、むかしながらのアイヌ様式の生活をとどめてはいません。普通の和人様式の生活そのままなのです。ただ、ほとんどのアイヌ系の人びとは、大変に貧乏な場合が多いのです。

 なぜそうなのかは、アイヌ民族がたどらされた過去数百年の歴史を知れば、なるほどとうなずけるはずです。

 北海道へ観光旅行にくる人たちの多くは、いまだにアイヌがむかしながらの生活をしていて、いくつかのアイヌ部落が北海道に点在するもの、と思っています。いえ!観光客ばかりではありません。北海道へこなくとも、日本人の中にはそう思っている人がいるのです。もっと驚くべきことは、北海道に住んでいる人でさえ、そう思っている人がいるのです。とても残念であり、悲しいことです。

 何かの機会や何かの書籍などから知識を得て、現在のアイヌは一般和人と変わらないのだと知っている人は、そう多くはいないのです。

 日本の小・中学校では、アイヌの文化・歴史、そして現在はどうなっているか、ということさえ、まったく教えていませんから、ほとんどの人たちはアイヌを知らないのです。知らないうえに観光地へきて、観光のアイヌ舞踊や、アイヌ民芸品らしきおみやげ品を見れば、ついうっかり、今でもアイヌはむかしの生活をしているものと思い込んでしまうのも無理はありません。観光地へきて、はじめてアイヌに会うという人が多いものですから、アイヌに対する誤解を生む原因は、観光地のアイヌのせいだといわれています。そんなわけで、観光地でアイヌ舞踊を見せたり、木彫りの熊などを彫っているアイヌの人たちを「観光アイヌ」などと呼んだりする人もいるのです。
「観光アイヌがいるからアイヌは誤解されているのだ。」
「観光アイヌは悪影響しか与えない。」
と、非難されるのです。

 北海道に住んでいるといわれるアイヌ系住民は、一万数千人とも、五万人ともいわれています。そのうち、観光事業に従事する観光アイヌと呼ばれる人たちは一部分です。ほかのアイヌ系の人たちは、一般の職業についています。この人たちからさえ、
「アイヌウタリ(同胞)が観光地で見せものになっている。」
と、非難されているのです。

 普段の生活では「アイヌ」ということばさえも遠ざけて、できるだけアイヌであることをさけようとする一般のアイヌ系の人たちにしてみれば、ときどき観光地に見るアイヌの姿や、観光ポスターに出る民族衣装をまとったアイヌの姿に、ひどく心を痛めているのです。ほんとうなら、アイヌをさけるのではなくして、アイヌの子孫であることに、誇りをもって生きなければならないのですが、やはりそれさえもできないアイヌの悲惨な歴史が、痛々しいほどアイヌ系住民の心をむしばんでいるのです。

 たとえば、沖縄の観光ポスターに、沖縄の古い民族衣装を着た人が写っていたとしても、今でもその衣装で生活しているなどとはだれも思いはしないでしょうに‥‥。

 なぜ、アイヌの場合は、衣装を着て観光ポスターになっていれば、誤解され、非難されなければならないのか‥‥、残念なことです。

 アイヌ民族の踊りは、アフリカ諸部族の踊りや、アメリカインディアンの踊り、ヨーロッパ諸民族の踊り、日本舞踊・歌舞伎・能のもとになった百姓踊り・猿楽・田楽と同じように民族・民衆の心を反映した”民族舞踊の原点”といわれています。

 とかく、アイヌ舞踊を見る人にも、踊る観光アイヌにも、その原点があいまいにされているようです。現代の日本舞踊やバレエなどと比較して見るものではないし、踊る側にしてもたんに形を踊るのではなく、舞踊本来の心を表現しなければなりません。観光アイヌが踊るその在り方に問題が投げられているのは、この原点の表現にあると思います。

 アイヌの工芸品は、世界屈指といわれるアイヌ模様の彫刻など、大変優れたものがたくさんあります。しかし、アイヌ独自の生活様式が残っていない現在、生活から生まれる工芸美は、その伝統も必然的に失われていくのも当然のことなのです。

 それにもかかわらず、観光みやげ品として製作販売されている「アイヌ民芸品」というのは、ほとんどが本来の姿をもっていません。一見して、その品にアイヌらしさを観光客受けするように、安易なイメージ製作が横行しています。

 アイヌといえば「木彫熊」があまりにも有名ですが、これは、決してアイヌの代表的工芸品なのではありません。

 本来は、置き物というような装飾品ではなく、儀式用具の中に、簡素に表現されていたカムイ(神)としての素朴な彫刻であったのです。

 大正時代に北海道に住んでいたある牧場主がスイスに旅行した際に、スイス民芸品の木彫熊を買い求めて持ち帰りました。それを、北海道の熊との連想から木彫熊製作に着目し、冬季間に牧夫や農夫の片手間仕事として、スイス木彫熊をまねて作らせたのがはじまりといわれています。

 これがいつのころからか、アイヌと結びつけて考えられるようになり、当時の旭川地方のアイヌ系の人たちによって、現在のスタイルの木彫熊が彫られるようになり、この人たちが、名実ともに、アイヌによる木彫熊の元祖をなしたということです。本来の姿ではないけれど、アイヌと熊は、きってもきれないことになってしまったのです。

 このごろから、久しく絶えていたアイヌ工芸が、少しばかり息をふき返しはじめたのです。木彫りを正業とするアイヌ系住民が出はじめました。でも素朴なもので、また、もうかるほどの仕事でもなかったようです。

 ところがここ十数年来、北海道の観光ブームにのって、観光客の数はウナギ昇りとなり、みやげ品としてうってつけの木彫熊は、全国にその名をはせることになりました。こうなれば、またたく間に品不足となります。いよいよこのあたりから、木彫熊の職人の世界に大変化が余儀なくされるのです。

 観光事業の発展は、とりもなおさず和人業者の資本力が大きくものをいいます。

 一般観光事業はおろか、ついには、みやげ品の木彫りの分野まで進出してきました。和人の熊彫りの職人がどんどん増え、それでもまだおいつかない状態となっていきます。職人たちには当然のように大量生産が要求されます。

 その結果は、手づくりとしての自由な表現と、それに見合った手づくりの値段もいつの間にやら、規格化されたスタイルと値段に定着してしまいました。細々と親の代から受け継いだアイヌ彫刻師も、結局は、観光事業の巨大化の前にあっさりと打ちのめされていったのです。いつものことながら、良きにつけ悪しきにつけ、アイヌは犠牲になってしまうのです。

 北海道中にはんらんしているアイヌ民芸品なるものは、ほとんどが和製(和人がつくったもの)といってもよいでしょう。しかし、買う観光客は”アイヌが作った”ものだと思い込んでいるし、売る方も、まちがっても「和製だ」などとは説明しません。

 アイヌ民族には、まったく関係のないものを作り、ほんの気持ちばかりのアイヌ模様を組み込んで、そして”アイヌ語”を勝手にまつりあげ「×××織」「×××彫」などとアイヌ民芸品をよそおって販売しています。

 これだけではまだ不足なのか、ついには、機械彫やら、プラスチック、合成樹脂などによる成型製品が、東京・大阪で大量生産され、北海道で販売されています。また長野県産の木彫熊の逆輸入、大分県産のツゲ細工が北海道みやげとして、堂どうと売られているなど、目をおおうばかりです。

 今では、北海道のどこをどうさがしても、本物のアイヌコタンがあるはずがありませんし、熊祭りも、アイヌ舞踊も、アイヌ民芸品も、アイヌ語さえも絶えてしまっているのです。本物がないのです。真意を伝承するものが、厳然として存在しないからこそ、観光用に仕立てられることも容易になされ、観光アイヌという商品価値的なものも生み出されるのです。

 観光業者は、アイヌ系、和人系を問わず、その商業目的は、みやげ品を販売することにあるのです。そのための観光客よびこみ作戦として、アトラクション”アイヌ踊り”を宣伝し、看板にするわけです。ですから、アイヌ踊りがどのように簡略化され、無味乾燥なものになったとしても、要するにそこに”アイヌ”があれば、それでじゅうぶんだということなのです。観光業者は、賃金を支払ってアイヌの踊り子を雇います。商売上必要であれば、かなりの高額な賃金を出してでも集めようとします。収入の少ないアイヌ系住民の中から、このような高収入に魅せられて、観光アイヌに走る人がどんどん増えるのもうなずけるのです。

 観光業者は、もうかればそれで目的が達せられるのですから、それ以上のことはないでしょう。観光業者とはそんなものか、と片づけてしまえばそれまでのことですが、悲しまなければならないのは、今や、アイヌ系の人の中からも、そういった観光業者が誕生しているということです。また、観光アイヌと呼ばれる人たちの一般的感覚も「伝統の継承なんてカッコいいことなんかいっちゃいられないさ!ようするに、もうかりゃいいのだ!」というのが多いということなのです。

 毎日毎日、観光客を相手にしている観光アイヌにしてみれば、正しく継承しようなどと思えば思うほど、むなしく思うのはあたりまえかも知れません。アイヌ民族の文化や歴史、舞踊や工芸、文学ユーカラにいたるまで、そうそうわずかな時間で説明し得るものでもありませんし、観光客が、まるでアイヌに関しては無知識に等しいとあれば、当然の成りゆきなのかもしれません。

 時間に追われている観光客には、単純に、アイヌ語のいいかげんな和訳ですましたり、アイヌ感覚を無視して、和人的感覚で説明して喜ばすという無神経なことも横行してしまいます。
「この木彫りの人形は、しあわせを運ぶ神様ですよ」などと示されれば、その気になって買う観光客の感覚もどうかな、と思わないでもないのですが、観光客にしてみれば、楽しい旅先でのこと、やはりその気持ちを裏切る行為の売る方の責任はまぬがれないでしょう。

 しかし、どういってみても、どう考えてみても、観光アイヌの道へ進まざるを得なかった切実なるアイヌの生活を思い起こし、ただ単に”観光アイヌ”を非難するだけですまされぬところに、真剣に考えねばならないほんとうの意味の”アイヌ問題”があると思うのです。

 自給自足で事たりた、しあわせなむかしのアイヌの生活は、もうそこにはないのです。

 分業社会という巨大な歯車の中で、アイヌ民族が誇りとしたアイヌの心(人間の心)を忘れずに、アイヌ舞踊、民芸品製作の態度、また、ユーカラの伝承やアイヌ語の継承など、現代社会にどのように還元しなければならないのか‥‥、アイヌ民族の美さを受け継ぎ、どのように現代にマッチさせ、生かしていけるかを考えねばならないのでしょう。保存しなければならないものも数多くあります。

 観光アイヌであればこそ、この仕事の重要性を再認識し、真剣に取り組まなければなりません。いつまでも”アイヌは取り残された”などとばかりいってはいられないのです。

 すべての意味で”人間としてのアイヌ文化と、歴史の再確認”をぜひしなければならないときがきています。

 現在、アイヌ木彫りと銘打って、木彫りの仕事をしている自分自身へのいい聞かせでもあるのです。

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