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友だちってどこからだろう。

友達作り

初心にかえって考えることは、「友だちってどうやって作って、どこからが友だちって括りになるのだろう」ということだ。
小さい頃から一人で遊ぶことが多かった。でも、誰かが集まるところには自分から向かっていって「遊びにいーれーて」といって友達を作っていった気がする。でもそれは、小さい頃の話で大人になった今、どこかのコミュニティに所属して自分からコミュニケーションを取らなければ"友達"というのは作れない。
なんなら、話した相手は大半は友人ではなく知人になる。

そうだ、自分が相手を友人に昇華させるのは簡単かもしれない相手から自分を友人に昇華させてもらうことは甚だ難しいことなのだ。

どこからトモダチ?

そうなると、どこから友達だというのだろう。飲みに行ったら?弱さを見せあえたら?作業通話を一緒にしたら?他愛もない話をできるようになれたらいいけど相手の時間も気にし合うようになるよね。
それが成長なのか勇気を出せないのかはわからないけどそれを見極めあえるようになったらきっと「大人」のひとつだと私は思う。
そして、大人になるというのはいい意味でも悪い意味でも日々難しいなと感じるがそれはきっと成長のチャンスなのだろう。
そこから逃げればチャンスの紐を手放して風船のように何処かへ飛んでいきそれは他の人のチャンスへと昇華するのか、はたまた彷徨うままなのか。人によって様々だけど行動それぞれの選択は間違っていないと断言できる。ただ、誰にどう言われたかとかを理由にしなければいい話なのだ。
この話はまたいつかの記事でお話しようと思う。

まとめ的なもの

私は、友だちを作るというのは、年齢が上がるに連れてハードルが上がっていってしまうかもしれないけれど人と仲良くなりたい自分がいてそれとの相違が嫌だけど徐々にそれが並行していくのか一歩踏み出せるか自分次第だということを肝に銘じておきたい。

たまにふと思うことがあって書いてみた。今の友達に出会えなかったらずっと一人だったんだろうかと。それは怖い。だからこそより今の状況に感謝しなければならないなと改めて思った。

コラム(?)

さて、今日はクリスマスですね。寒いですがお体に気をつけてください。メリークリスマス。ぼくは早く話したくて友達に通話をかけました。無言の時間はあれどそれが怖いとかでなく安心していられるのは友人感の居心地の良さを表しているのかもしれません。いつもありがとう。

それではまた次の記事でお会いしましょう。

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