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おもいきり泣いていいじゃない

子どもには、泣きたいときに思いきりなく自由もあると思っています。

子どもはよく泣く
悲しいとき。
寂しいとき。
痛いとき。
思うようにならないとき。
不快なとき。 などなど。

子どもが泣くと大人はよく言う。
「泣かない泣かない。」
「大丈夫!」
「ほら!これがあるよ!」
なんでなんだろう?

泣きたいから泣いているのに。
なんで、泣かないと決められなければいけないんだろう?
大丈夫じゃないから泣いているのに。
大丈夫かどうか決めるのは、感じている子どものはずなのに。
他のものがあったって何だっていうんだろう?
今泣きたい。この気持ちを、何かにすりかえていいんだろうか?
責任をもって、今後もすり替え続けてくれるということなんだろうか?

保育士でも、子どもが泣くと、すごく焦る人がいる。
「ほら!泣いているわよ!早く何とかしなさい!」みたいに、声をかけられることがある。

なんで焦っているんだろうか?
怪我をして泣いているんであれば、早く対処は必要だけれども。
焦るのは、泣いていることに対処ができない自分。と、向き合いたくない逃げではないだろうか?

大人になってうまく泣けない!とか。
涙は心のおそうじ!涙活!とかも言われる近頃ではないでしょうか?
https://precious.jp/articles/-/7663
なのに子どもが、泣きたい気持ちを我慢するって、変じゃないですか?

そのまんま受け止める

私は、泣いている子がいたら、まずその状況をそのまま受け止めることにしています。
「泣きたいよね」
「さびしいね」
「痛いね」
「あのこのおもちゃが欲しかったね」
などなど

仮に、もしこちらに都合の悪いことであっても、いったんはそのまま受け止めます。

大抵は、これで落ち着いてきます。
大人に、気持ちを分かってもらえている。ということがわかること。
そして、「そうそう。それが嫌だったんだ。困っていたんだ。」と、あらためて認識することができるからです。
それによって、子どもが自分で状況と気持ちの折り合いをつけます。
それでも何か不満そうであれば、私に出来ること。を提案します。

「公園でまだ遊びたかったね。よくわかるよ。滑り台、早かったもんね。うんうん。だけど、暗くなってきちゃったよ。暗いと怖くないかな?明日また来よう?どうかな?」
とか、
「あの子のおもちゃが使いたかったね。おもしろそうだもんね。かわいいしね。だけど、大切だから貸したくないんだって。残念だね。うん。今使いたいね。じゃあ、もう一度一緒にお願いしてみようか?」
のような感じです。

もちろん、うまく話がまとまらず、やっぱり泣いてしまうこともあるのですが。
その時は改めて、その気持ちと状況を受け止め、代弁し、寄り添います。

必ずうまくいくわけでもないし、
時間もかかるしし、
めんどくさいことも、正直あります。
保育ならまだしも、日常生活の中では、正直言って、結構な手間です(笑)

けれど、子どもが自分で生きていく力の一つとして、自分で気持ちの折り合いをつけることは、すごく大切ではないでしょうか?
そのためには、思い切り泣くことも、泣きたかった気持ちをしっかり感じることも、すごく大切だと思っています。


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