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天国の住人からあなたへ。


はてさて、

旅とは、

目的や明確なゴール地点を決めずに、たどり着けてもたどり着けなくてもオッケーというか、過程を楽しむことかな。

どんなイメージだろう。

旅行は、観光地に行くイメージ。わたしはそんなイメージ。ここに行くと決めて、しおりに沿って歩いていく、決まった道を行く感じ。

旅は、、、

行く先々で出会う人をそのときに楽しみ、
一期一会だと出会いに感謝し、友達をつくり、はたまた家族となる人と出会ったり、

見知らぬ土地だからこそ、勇気を出して人に訪ねて人の温もりに触れ、自分の内側にあるものに気づき、

人によっては風景を楽しみ、人によっては食事を楽しみ、人それぞれの今回の旅の楽しみを見出し、正解も不正解もないその楽しみを胸に刻み、滅多に味わえないことと今だ!と自分の胸踊ることに流れていく。

行き帰りの道中で起こることをその場で、自分のその時持てる力で持っているものでなんとかして、これも旅だなぁと過程を受け入れて楽しんで、必要なものがあれば手に入れて、かばんに入らなければ捨てて、大事な人を思い浮かべてお土産を買って、、、

これって、人生そのものだと、さっき気づいた。

ゴールという明確な場所もなく生まれて、生きていく中で出会う人々と友達になったり家族になったり、分からないことは聞くか体験するかしかなく、起こることを受け入れて、楽しく転換してそのときをいまを、自分と出会う人と生ききる。

大事な人を思い浮かべては、職場や仕事のことを考えては、あの人はこれ好きかな嫌いかなと社会的には、、とお土産を選ぶかのように、人間関係を学んでいく。

もしくは、

わたしの想像を超えている範疇ではある、

魂の世界へ

冥土の土産を、

天国へ持っていくための何かを、魂に刻んで生きているのだろうか。。。

この辺りでも、まだわたしは、迷っていることがわかる。

天国へ行くのか、じゃあいまはどこにいる?

目的地がないとしても、ゴールがないとしても、

どうしても、

しあわせというゴールを求めて、ひとは彷徨いやすい。

わたしもそうでした。

今回の旅のゴールはしあわせだと。

だけど、

すでに天国の住人であり、

すでにしあわせ100%で、

しあわせは求めるゴールではなく、

人に求めるものではなく、

目の前にあるものの中にしあわせがある。

まずは部屋の中にある幸せに目を向けてみよう。

と言われて、

ふと、周りを見渡すその目があること。着ている服があること。空気を吸う口があること。そこに空気があること。

それがしあわせだとわたしはそう感じる。

あくまでも、わたしのばあい

そして、ありがとうと思う。

住むことができる家がある。

食べ物も必要なものはある。

冬に着る服があるし、わかることさえありがたい。何を着るかわかるから、あったかくして外にいくことができる。

旅を感じることができる自分という存在があることがすでにしあわせ。

いのちがあることにありがとうと。

もう

競うことはない。

争うことはない。

比べることはない。

評価論評を常に発動する思考回路は要らない。

優しく、穏やかで、安心した中で生きていける。

ただ、起こる外側の出来事、沸き起こる内側の気持ちに良いも、悪いもない、プラスもマイナスもなく、

全ては感謝だった。

感謝できることに、

争いは起きない。

ありがとうと思うところに、

人と比べる心情は出てこない。

手を合わせて、

わたしは

人生を、このいのちある旅を、

ニコッと微笑みながら、

自分へ、人へ、いのちある全てのものへ、

ありがとうを伝えていく。

まだ、わたしは、そう新たにいのちを頂き、

2歳。

ゆっくり歩いていけばいいのだ。

それでいいのだ。

そしてね、

わたしは、大したものじゃない。

ひとのトイレを掃除しているだけの清掃員。

ひとのお世話になっていることもたくさん。

ひととひとのあいだにいきて、にんげん。

だから、こうやって、ひとへ向けて書きたくなることもあるのだと思う。書きたくなっちゃった、

伝えて、ひとを変えようとか、社会を明るくとかは思わない。

そっと、文字にした記録がここにあるだけ。

つらつらとかいたnote。文字も旅してる。笑

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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