愚痴を聞き、付けた値札が笑い出す。

Vtuber界隈にたまにある、「〇〇した人のファンアートを描く企画」。
僕もお世話になったことがあり、大変ありがたいことだなあと思う一方で、企画にかけるVtuberさんの労力は並大抵のことではないなあと深く感じ入るばかりでした。描いて頂いたことがある身としては、感謝の二文字より他にあろうはずもなく、宝物の一つとしてフォルダの中に飾らせて頂いている次第であります。

しかしどうやら、こうした企画の常として「企画のときだけ寄って来て用が済んだらはいさよなら」といったことが往々にして有り、そうした一時だけの関係性に嫌気が差している方がいらっしゃるらしいのです。

まあ、そりゃ嫌ですよね。普段の活動を全然見てなかった人々が、ファンアートを描かれる企画をしたときだけ寄ってくるともなれば、嫌悪感を抱くのも致し方なしといったところです。
とまあ感情面からすれば全く納得のいく話ではあるんですけれど。ここはあえてそこで話を終えずに、そもそもなぜそんなことになったのかという点について僕の私論を述べさせて頂きます。なんでって、そりゃあ参加した側(つまり僕のような存在)が一方的に問題視されてるからですよ。


・そもそもその企画はなんのために行われたのか。

前述の通り、イラストを描くというのは大変な労力がかかります。それを企画という形で提供されるVtuberさんの負担たるや想像に絶するものがあります。そんな労力・負担のかかる企画を、いったいなぜ行われるのでしょうか?
これに関して、僕は「企画により何らかの利益を得るため」であると理由を設定しました。以下の私論に関しては、このことを前提にしていますのでご承知おきください。「私的な趣味として利益を求めず」企画を行っていらっしゃる方には心より謝罪申し上げる次第です。

さて、「何らかの利益を得るため」に企画をされる場合、当然ながら得られる利益のことを考えなければなりませんね。ファンアートを描く企画であれば、企画参加の条件としてアカウントのフォローやチャンネル登録、企画ツイートに対するリツイートやいいねなどが挙げられることが多いですが、これらがつまるところ企画者の得られる利益として直結するものと言えます。いわば、企画者はそうした参加条件に付帯した利益を得ることを目的として、企画を立案実行しようとしているのです。そして、企画参加者はそうした条件を満たした上で、すなわち企画者の提示した対価を支払った上で企画に参加しているという訳です。条件を満たしていなければ参加者として認められない訳で、逆に言えば参加者として認可された以上は参加条件を満たしていると言えるでしょう。

こうして考えてみると、世の全ての(というと言いすぎかもしれませんが)ファンアートを描く企画は、企画者と参加者の間で利益認識の一致がなされた上で成立しているように思えます。思えますが、実際はそうではないらしいです。不思議ですね。一体、どうすればいいというのでしょうか?


・自らが記す値札が持つ意味を、君は考えたことがあるか。

結論から申し上げますと、企画者が望む利益を得るために必要な条件をすべて参加条件に書き記すべきだと僕は思います。今回の件で言えば「企画が終わっても1日1回はリプライを送ってくれること」みたいな条件を記せば少なくとも関わりは継続的なものになりますし、仮に遵守されなければそれこそ大手を振って批判なり何なりできるでしょう。(良好な関係性を作る、という意味ではどうなのかと思うところですけれども)

条件として挙げられているものを見て、自分でもそれなら満たせると思い、参加したいと考えるから、人はそうした企画に参加するのだと自身の体験から僕はそう感じています。書き記されている条件として提示されていないのであれば、企画者側がそれについて求めるというのは少々酷であるように思います。

「何らかの利益を得るために」企画をされるのであれば、望むべき利益をまずは書き出した上で、それを得るために必要な条件を余さず提示するように心がければ、今回の件のようなミスマッチは生まれないのかもしれません。
こうしたミスマッチで企画者側の方に不平不満を持たれること、ましてやTwitterなどで不平不満を呟かれることは、企画参加者の端くれとして到底本意であるとは言えない事態であります。こういったことが今後起こらないように、少しでも本意見が役に立つことを願ってやみません。