HSPについて その裏にある差別意識

巷でHSPという言葉がはやっているみたいです。

Yahooニュースで見ました。

 そのコメント欄を見ていて感じたのが、皆自分のことを繊細だと思いたい、いわれたいということ。コメント欄には自分のことをHSPだと思っている人が多いようです。

 おそらくはHSPの人でも繊細さの度合いがあると思います。社会的に生きていけない人が自分はHSPだという場合もあれば、社会的には特に問題なくやっていけているが、自分はHSPだという人もいて明確な境界線はない感じです。

 自分のことをHSPだと思いたい心理というのはどこからきているのでしょうか?

 それは鈍感なのが劣っているという無意識の感覚からもきている気がします。なので、皆自分はHSPで繊細な人間なんだ、と言いたいのだと思います。もちろん実際にHSPの人もいるとは思います。

 もう一つ、HSPという言葉は便利というより都合がいい言葉だと感じました。それは精神疾患の意味合いを含むことなく、繊細だというニュアンスがあるからです。精神疾患には差別意識があるが、自分は繊細だと叫びたい人にとっては都合のいい言葉でしょう。

 極度なHSPの人はまさに社会不安障害になりやすかったりするわけです。HSPを理解する前に精神疾患の人のことを理解することも増えてほしいと思いました。

 HSPだと自分でいうような普通の人は受け入れられて、もっと繊細な精神疾患の人は差別をされる。酷い話です。

 本当に繊細な人が面の皮の厚い人に押されてしまって大切にされず置いてけぼりにされるのは世の常だと感じるので。

 人の前で私は繊細なんです、と言っている人とそうなんですか、と聞いている人の集団がいる場所から外れて、一人で自然に触れたり、本を読んで感動していたりする人、これがほんとに繊細な人だと思いました。


 

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