エヴァンゲリオンが終わった。

誰しもが26年間を重ねてしまうように、それは僕自身の話。

(ネタバレ含みます)


みなさん、すっきり寝れましたね。
Qのあとココスで長々と感想を話した友達とも、ラーショで20分で食い終わって解散しました。まぁ、良かったね。と。

〇 そして僕の大学受験が終了した。

エヴァを知ったのがニュータイプ誌上。立ち読みした場所もしっかり覚えている、通学途中の当然今は亡き書店だ。
先行して貞本義行による漫画の連載が始まった。これも覚えている。月刊エースを高校の片隅のプレハブみたいなところにK君が持ってきた。当時、僕ら高三は学校の主導の夏期講習をしていたんだ。

95年秋。アニメが始まった。95年は阪神大震災とオウム事件の年だ。
水曜午後6時。テレビ東京系。もちろん、仙台の俺は見れない。
「くそ! なんで見れないんだ! 絶対上京してやる!」
と当時の地方民は進学で上京していったと思われているが、
実際の感覚としてはそれほど何も思わなかった。それが当たり前だったからだ。
アニメは地方では見れないもの。そして、大学というのは旧帝いけない奴は上京するもの。それが僕の中の当たり前だったのだ。

エヴァ1話をどこで見たか。これもはっきり答えられる。今は亡き青葉画窓の向かいのアニメイト仙台店で、店内のモニターで流してたやつを25分近く立ち見したんだ。僕以外にも結構立ってみてた。そういう時代だったんだな。

エヴァ26話はどこで見たか。これもはっきりと答えることができる。僕は受験に中途半端に成功し、進学していた。W山とT見と一緒に、当時W山が住んでいた盛岡の下宿の松岡荘だ。これはSF研から借りたビデオだ。

直後。僕は大学を辞めた。

別にエヴァに勇気をもらったわけでも(そういうアニメじゃねえし)別にあのラストに何か思ったわけではなかった。
ただまぁ、なんかいろいろ恥ずかしかったのだろう。

〇 好きなものを好きといえるW山君。

彼は「福岡から来ました」といった。
これで通じるのは岩手県民だけだ。二戸というのは広域の名称であり、その中心部が「福岡」であり、福岡高校は地域の名門公立高校だ。
僕が仙台から盛岡に都落ちして腐ってるなか、彼は地方から盛岡に「上京」してお上りさんとして盛り上がっていた。
僕は彼とエヴァの話をした。ナディアに話を振ったとき、「彼は、なんでエヴァの話をしてるときに急にナディアの話をするのか」という態度をとった。

田舎者の彼には「この話をするにはこの予備知識が必要」というオタクのルールみたいなものがないのだ。

彼の話の基準は「それ」が自分が好きかどうかだ。ガイナがどうとか声優がどうとか、それに興味がないのだ。そういう風に興味を広げていって知識を得るのがオタクだと思ってた僕に彼はとても輝いて見えた。つーか、今でもわりとそう思ってるよ。あいつ。

〇 旧劇。そしてエヴァ缶。

大学を辞めて地元に戻った僕は浪人生となっていた。
放送を終えたエヴァンゲリオンはそこから盛り上がり始めていた。アニメ不毛の地仙台でも早朝に放送が始まった。劇場版も発表された。

センター試験。東北大会場。広瀬通から川内のキャンパスまで徒歩った僕は、途中の自販機で缶コーヒーを買った。今は亡きUCCの自販機からエヴァ缶が出てきた。僕は、それをセンター試験の会場で飲んだ。


うん。 好きに生きよう。


〇 新劇。そして終劇

わりときれいにおさまったなぁ。という感想。主要キャストも一人も欠けなかったのがうれしい。みやむーとか一時期声出てなかったじゃん。若い人とか面白ナレーターのおっさんが気持ち悪い親父になってるとしか思わんのではないかと思いつつ。
映画館の中はわりと若かった。もう僕らの時代とは違う。見たいアニメを見るのにレンタル入りするのを待つのも、水曜日の放送を郵送してもらって金曜日に見る必要もなくなった。
単純に面白かった。絵がかっこよかった。それでいいんじゃないのかな。

僕は好きです。

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