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【宗教二世のつぶやき①】夢のなかのこども

 夢を見た。
 わたしは、ある集会に来ていた。知り合いとそのかのじょのこどもに付き添って来たらしい。

 それがなんの集会で、自分がどうしてそこにいるのかわからないのに、大事な儀式があるらしいことだけはわかっていた。一通り説明を受け、重要ななにかが行われるであろう部屋に移動することになった。周りの人たちがゾロゾロ部屋から出ていくなか、その知り合いに呼び止められる。かのじょは強い目力を放ちながら、こう言った。

「この子、わたしが占いやスピリチュアルなものが好きだってわかっているから、いかがわしいと思っているのに、ほんとうは怖いのに、今日ここに来たことが発覚しました。」

 細かいことはよく覚えていないが、わたしはいま目の前にいる、今年小学生になるというこどもの母親に退席してもらい、その子に話しかける。

「今日、ここになにをしにきたかわかる?お母さんのために、がんばろうとしていたんだよね。でも、いやなことはいやって言っていいんだよ。よくわからないからやりたくない、怖いって言っていいの。そんなつらい思いをしてまで、ここにいようとしなくていいんだよ。」

 目の前のその子は、わたしが言い方を変えても、ことばをかさねても、視線を合わせようとせず、ただ怯えていた。
 
 それが、わたしにはかつての自分とかさなって見えた。母を喜ばせようとして、小さなからだで大きなものを背負いたたかうその子は、こどものころのわたしそのものだった。
 母親が熱狂している、宗教やスピリチュアルなものたち。それらが、こどもたちになにをのこしてきたのか、どんなものとして刻印されてきたのか。わたしは蓋をしつづけてきた問いに向き合いはじめているのかもしれない。

 夢のなかでは、ただ目の前で親の期待に応えようと必死なこどもの傍らにいながら、なにもできない無力感に耐えるしかなかった。その子がたった一人で背負っているものを思い、涙がこみ上げてくるのをこらえながら、あー、この言い方で良かったのか、もっと伝わることばがあったんじゃないかと、あの子に言ったことを反芻しながら、目が覚める。

 なんでこんな夢を見たか。それには心当たりがある。
 というのも、わたしは最近、牧師でカウンセラーもしているという方に、話を聞いてもらったのだ。カウンセリングを受けたのは、人生で初めてのことだった。 (つづく)


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