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痛みを”なかった事”にしないで

久々のVoicy文字起こし。
ずっと下書きで眠っていたちょっと古めの放送です。


痛いの痛いの飛んでいかない


『痛いの痛いの飛んでいけ』っていう、子どもへのおまじないありますよね。
あれ、私子どもが小さい時に結構使ってたんですよ。

上の子が3歳ぐらいまでかな。
転んだりぶつけたりしてわーって子どもが泣いたら
「あー、痛かったね」って言って。

ナデナデして『痛いの痛いの飛んでけ』って言ってたんです。

でも、ある時ね。

私が棚の角に足の小指をぶつけたんですよ。
もー、めちゃくちゃ痛くて痛くて痛くて。
動けなくなったんですよね。

本当、足の小指全力でぶつけると、本っ当、めちゃくちゃ痛いですよね。
痛くて痛くて悶絶してるとこに、幼い長女がやってきてね。


『おかーさんいたいの?』って言って。
私の足の小指をナデナデしながら
『いたいのいたいのとんでけー』って。

めっちゃ可愛かったですね。

まぁ、そうやってやってくれたんですよね。
…で。

「いたいのとんでったから、おかあさんもういたくないね」って。

めっちゃいい笑顔で言われたわけですよ。

でもね。痛いんですよ。

この『痛いの痛いの飛んでけ』って、結構とんでもねえおまじないだなって、私はそん時に思って。

だって。痛いもんは痛いのに、痛くないことにしようとするじゃないですか。

『痛いの痛いの飛んでけ』
『ほら痛くなくなった』とか言って。
大人と子どもでふふって笑うけどさ。

子どもは痛くて泣いてたんだから、間違いなく痛いんですよ。

なのに「飛んでったから痛くないよね」ってね。
それで本当にごまかされて痛くなくなる程度の痛みなら全然いいんだけど。

本当に心から痛いとしても「飛んでって痛くない、大丈夫」って言われたら、痛くないことにしなきゃいけない気持ちになるなって、私は思ったんですよ。

でもぶつけた小指はめちゃくちゃ痛かったし。
なんせ内出血してましたからね。

それでもやっぱり「いたくなくなったよね」って言われると…

『痛いの痛いの飛んでいけ』のおまじないは、優しさから来ているものだっていうことは、やられた側としたらわかるわけですよね。

ああ、痛そうだ。
苦しんでるから声をかけてあげなきゃ。
せめて少しでも何か痛みを和らげてあげなきゃ。

そういう優しさだっていうことはわかるから、わかるからこそ。
「それでもまだ痛いよ」って言ったら相手の優しさを踏みにじるって事もわかる。

「そんなことされても痛いもんは痛い」
そんなこと言ったら娘はきっとショックを受ける。


だから

「ありがとう、おかあさん、痛いのどっか行ったわ」
ってその時は強がるわけですよね。

なんかそれ、どうなのって思って。
めっちゃ痛いのに。

それからは私、子どもに『痛いの痛いの飛んでいけ』のおまじないするのやめたんですよね。

子どもに痛いことが起こって泣いたときには

「痛いね、つらいね、どうしたらいいかなぁ」
「痛いところナデナデするかい」とか

「痛いの良くなるのいいな」
「たんこぶになってる、これは痛いねぇ」とか。

痛いことに共感してあげることを大事にしてます。

で、これは心の方も同じことだと思っていて。

私、何回かXで炎上したことあるんですけどね。

そういう時優しい方が声をかけてくれたりするんですけど。

「大したこと言ってないから気にしなくていいよ」

って言ってくる人が圧倒的に多いんですよ。

実際、私も逆の立場の時はそういうようなことを言ってしまうことが多くて。

でも、それも『痛いの痛いの飛んでいけ』と同じなんですよね。

その人の心が傷ついて落ち込んでいるのに、その痛みに対して共感はしてないんですよ。
むしろ”大したことない”って言ってるんですよね。

小指つけてめっちゃ腫れ上がってんのに

「そんなの大したことない、大したことない」

「気のせいだ気のせい、見ないようにすればいいんだよ」

って、そんなことを言ったからってね。
その人が受けた痛みは消えないんですよ。

でも、相手が思いやってくれてるっていうことだけは伝わるっていうのがややこしくて。

こっちは傷ついて落ち込んでる側なのに、何故かもう1人気を使わないといけない人が増えるっていう状態になっちゃうわけですよね。

そこで「気にすることないよ」って言われて、落ち込んで心の余裕もないのに「気にしてくれてありがとう」っていうことを返さなきゃいけなくなるわけですよね。

優しさが負担になる時っていうのが間違いなくあって。

前に炎上した時に、すっごい長い文で

「気にしすぎです。なぜそれを気にしすぎと思うか…」

そんな、すごい長文を送ってきた方がいたんですよね。

あなたを批判している人はちゃんと漫画を読んでない。とか。
あなたが伝えたい心情を全然読み取れてないから、変なことしか言ってる人いない。とかそういう事実をいっぱい並べてきたんですけど。

そんなことは私だって、見れば分かってたんですよ。
でも、それがわかったからって心に受けた「お前は生きてる価値ない」とか見ず知らずの誰かに言われて傷ついたっていう事実は消えないんですよね。

そういう客観的な視点なんて知りたいわけではなくて。

炎上した時にありがたいなって思ったのは
「こんな言葉を言われたら辛いよね」っていう声かけとかね。

やっぱりそういう、痛みに寄り添ってくれるような言葉がすごくありがたかったんですよね。

「気にしすぎだよ」とか
「無視していい相手だよ」みたいな事実は事実として、あってもいいんだけれども。
事実に痛みを癒す効果は全くないんです。

むしろそういう事を伝えられると
”あなたはそんなちっぽけな痛みを大げさに騒いでいるんだよ”
って、客観的に示されてるみたいで返ってしんどくなっちゃうんですよね。

私も、またそこら辺はバカ正直というか。
思ったことはきちんと伝えなきゃ伝わらないと思ってる方なので…

その人に真正面からその気持ちを返したんですよ。

「それを返されたからって私の心は全く楽にならない。
そんなことを伝えて、あなたは優しい人のつもりですか」

っていうようなことをその人に返したと。
(もっとオブラートに包めよ)

当然こんなキツイ言葉返されたら相手の人は傷つきますよね。

”自分は良かれと思って送ってあげたのに”みたいになってね。

でも…私にそう返されて傷つきました。っていうのも、それもまた違うんじゃないの?って思ったんですよね。

その人は(あの人傷ついてるんだな、慰めてあげなきゃ)って声かけをしたんですよね。
その声かけが相手にとって良くないものだってわかったら、そこは素直に「言わないでいいことを言っちゃってごめんね」ってならないのかなって。

打ち返されて傷つくってことは、相手のことを思って言った言葉じゃなかったってことですよね。相手が嫌がっても受け取らせたかったわけですから。

「自分自身が言いたくて言った言葉を跳ね返されたから腹立つ」ってことですよね。

それはそれで本当の優しさじゃなかったでしょ?って思ったんですよ。

相手のことを思って言うなら、相手に受け止めてもらえない覚悟みたいなものはやっぱり持ってた方がいい。
受け取るも拒否するも、それは相手に権利がありますからね。

例え自分が優しさからその声掛けをするとしても、自分の言葉が必ずしも相手に優しく届くとは限らないっていうことは、きちんと把握しないといけないよね。って思っています。

本当、この、優しさゆえの声かけってめっちゃ難しいなって思っていて。

自分が誠意を持って送った言葉なんだから、相手は受け取ってくれて当たり前だって思っちゃいけないですよね。

相手にとってそれが優しいものになっているかどうか?っていうことは常に考えながら、言葉を送った方がいいっていうことはあって。

傷ついている相手に拒絶される可能性も覚悟した上で、
それでもその言葉を相手に送りたいのか?っていうことをね。

送る前に今一度、考える必要があるんじゃないかなって思います。

もし、受け止めてもらえなくて、返されてショックを受けるなら。
それはむしろ相手の為じゃなく、多分、自分が納得したいとか、自分が安心したいから送っている言葉である可能性が高いんじゃないかなっていう風に私は思ったりしています。

ただ、私もそういう声かけを結構やりがちなので…
そこら辺は自戒の意味も込めて。
今日は、そんなお話でした。


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毎日放送続けて80回突破しました。

音声配信結構楽しくて、全然苦に感じていなくて。
楽しみながら継続出来てます。

生配信とかやると、私の放送好きな人が聴きに来てくれて、めっちゃ褒めてくれるんですよ!私自分の声嫌いだったけど、みなさんが褒めてくれるのでちょっぴり好きになりました。ありがたい。

文字起こししながら少しだけこっそり追記したりしてますが、声と文字ってやっぱり伝わる印象違うよねって思ったりしています。

また、文字起こし出来そうだったらしますね~。

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