問題解決セラピストにオレはなる
先日、東京に行ってきました。
何故、北海道の片田舎から東京なんて大都会へ、人混みが大嫌いでビビリの私が飛び出していくことになったかというと…
矢野惣一先生の問題解決セラピスト養成講座を受講するため、なのです。
何故この養成講座を受けようかと思ったかと言えば、以前矢野先生のカウンセリングを受けたことで人生観が超変わったからなんですよね。
去年このカウンセリングを受け、あまりに素晴らしい体験だったのでそれを漫画に描きました。
(ちなみにこの漫画、現在note創作大賞の中間選考を通過しております。最終結果の発表は10月末だよ。わくわく↴)
その漫画をXに2回上げたところ、どちらも反響がとっても大きくて1万いいね突破。
「読むカウンセリングだ」とも言って頂けたりしました。
私はエッセイ漫画を描くことで自分自身を救っているところがあります。
辛かった自分の記憶を漫画という世界の中に描き出すことによって、その記憶を「客観視」出来るようになるんですよね。
これもメタ認知ってやつでしょうか。
私の人生だけど、私の人生じゃないみたいな。
もちろん描いてる瞬間は大抵がつらくてしんどくて。泣きながら描いてたりするんですけど、完成するころにはものすごくスッキリしています。
漫画を描くことは私なりの心のデトックスなんだと思います。
そして、それはもう自己満足でしかないんです。
その自己満足の漫画を読んだことで「心が救われた」と言ってくれる人がいる。
自分のためにやったことで誰かが救われるなんて、そんなことがあっていいのかなと思ってしまいますが、たくさんの反応がそれを教えてくれるのです。
私が抱えてきたものと同じ苦しみを抱えて生きている人が、それだけいるということなのでしょう。
ここに載せきれないほどたくさんの感想が頂けたのだけど
「自分のことかと思った」みたいな反応が結構あったのが印象的だった。
今の私は全然そんなことを思っていないけど、それこそ炎上しやすかった頃の私は「自分ばかりが苦しい思いをしている」と思っていた。
でもこのグループカウンセリングに参加して、自分以外の人が悩みを吐露する様子を見て、思ったのだ。
「そっか、一見なんてことなくポジティブそうに振る舞っている人たちも、腹の底には結構いろんな感情を抱えて生きているんだ」と。
私は、頭ではそんなことわかったつもりでいた。でも、本当のところは全くわかっていなかった。心の底では何だかんだ自分だけが一番しんどいと思っていた気がする。
でも「私がしんどいと感じていること」を漫画にして「自分のことかと思った」と言う人が沢山現れたときに「人ってみんな沢山いろんなモノ抱えて生きてるんじゃん」ということが実感としてやってきた気がした。
エッセイ漫画で共感を得られたことは何度かあったけど、このカウンセリングの漫画を描いたあとの実感は今までのものとは全然違っていた。
私の腹の底にあったものがカウンセリングを受けて昇華されたとき、同じものを抱えていたどこかの誰かが一緒に満たされるのならそんなに素晴らしいことはない。
自分の問題を解消し、それを発信していくことでそれに触れた人を救うセラピストがいたっていい。カウンセリングやセラピーを受けるのは怖いけど、漫画を読むぐらいならもっと多くの人が気軽に触れられるはず。
自分の問題と向き合うため、そして、自分以外の人が抱えているものを知るために問題解決セラピスト講座を絶対に受ける!!と決意し、自分の仕事で得た収入を受講のためにコツコツ貯めた。その頃から千円単位だった月収が万単位に上がっていったのも不思議な話。想いは現実を変える。
矢野先生のカウンセリングを受けたことで、自分の心の中に突っかかっていた巨大な岩がひとつ崩れ、今まで滞っていたものが流れ出した。
流れ出したことによって、私は上流にもうひとつある心の引っ掛かりに気がついた。そうか、この引っ掛かりのせいで私は怒れなかったのだ。
そして今年の夏。地元に百武正嗣さんという方が来るという情報を得て、矢野先生とも繋がりがあることを知り、それならこの方も凄いはずだと思ってそちらのセラピーも受けて上流の引っ掛かりについて相談した。
上流の引っ掛かりはまさに、自分が怒れずにずっと固まって生きてしまったことについての源流そのものだった。
セラピーは当たり外れが大きいと聞いたことがあるのだけど、こちらも、自分の内面に大きな変化をもたらした。でも身内のいろんなことをさらけ出さないといけないので、不特定多数に公開する漫画にするには憚られる。
とはいえこれもまたものすごい体験だったんだよな…本当は描きたいんだよな…
Voicyで超高価格の期間限定公開で話したんだけど、結構売れてびっくりした。
2種類のセラピーを受けて思ったのは、百武さんのセラピーは特に自分の五感的な部分に深く潜る感覚があったこと、矢野先生のカウンセリングは自分だけでなく他者の思考にも潜らせてもらえる感覚があったことだった。
どっちがいいとかではなく、確実に違うものであり、癒やされる部分が違っている気がする。2種類体験できたのは本当に良かった。
なんか前置きが長くなったけども。
つまり、色々あって私はセラピスト養成講座を受けることになったのだ。
で、先日一回目の講座を受けてきた。
そのことを書くつもりでnoteを開いたのに、ここにたどり着くまでに2千文字超えているので続きは別な記事にまとめていくことにする。
養成講座マガジンを作るので、興味ある方はフォローしてください。
私はどうやら自分の得た情報を、絵でもことばでも文でもいいからとにかく吐き出さないといけない脳の持ち主らしい。
今回、数十年ぶりに東京行ったわけだが、東京という土地の刺激が強すぎて朝から何もかもに感動していた。
感動し続けたテンションのまま講座に参加したわけだけど、講座参加前に脳に溜め込んだ感動を吐き出すことも出来ぬまま、さらに情報を詰め込もうとしたもんだから大変なことになった。
朝から飛行機、昼についてそのまま会場へ移動。
初日は13時半から19時半までだったのだけど、18時を回ったあたりから強烈な耳鳴りが鳴り始めた。音がまともに聞き取れない。
それでも聞かなきゃと頑張っていたら、数分おきに耳が聞こえない瞬間が訪れた。もう脳が音声を受け入れる気がない。
講座が終わったあと、フラフラしながら大地にエネルギーを逃がせないものか…と野生の勘で土に触れてみる。と、目の前に地元では自生していないドクダミが大量に生い茂っていた。日本が誇る薬効高き薬草ドクダミ。
初めて見た!!!!
思わず摘んでホテルでお湯を注いで飲んだ。生のドクダミ、臭くて死ぬかと思った。でもなんか元気になった(気がする)ドクダミすごい(プラシーボ)
そんなことはどうでもいいとして。
東京の感動が強すぎてホテルでも全く眠れずVoicyを録ったのだけど、飛行機が飛んだこと、着陸に成功したことなど、多分大半の人にとってどうでもいい感動を片っ端から喋ったら耳鳴りが治まった。
今回の東京旅行では奇跡の出会いがあったので良かったら聞いてみて下さい。奇跡の出会いについてはチャプター2で話しており、コメント欄に御本人も降臨しています。
私はインプットするとすぐどこかにアウトプットしないと調子を崩すようで、根っからの発信者体質らしい。
まぁ次回以降の講座のときは飛行機が飛んだり、動く歩道で歩くと超速いこと程度では感動しなくなっているはず、なので、多分もう少し落ち着いて参加出来るんじゃないかと思っている。
…ということで。
講座で気づいたことを復習がてらちょこちょこと、Voicyとnoteでアウトプットしていきたいと思います。
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