学びが楽しくて仕方ない
最近、学ぶことにやたらと貪欲になっている。
学べば学ぶほど、世界の解像度が上がっていくことがわかる。
なんて表現したらいいのかわからんけど、知ることで何もかもがキラキラして見えるのだ!
これ、結構体験した人は同じことを言うので多分みんなそうなんだと思う。
解像度が上がった人にだけ見える世界がある。
たまたまオススメに上がってきたこの記事でも描いてた!
ほらみんなその世界見えてる!!
私が一番最初にその感覚を知ったのはジェスドロを100日継続したあたりからだった。
人の体の動きを毎日ずっと観察して、それが日常の中で当たり前になっていって、当たり前になったことによって「息をするのと同じ」感覚で世界を見るようになっていく。
そうすると、人の動きだけではない、木が風に揺れてるとかそんなささいな日常の当たり前のものすら「なんや美しいやないかい」と思えてくるのだ。
そんで、その感覚は一度開化してそれで終わりというわけではない。
何段階も何段階も少しずつ見える世界が変わってくる。
見える世界が変わってから誰かが作った作品を見ると「この人私よりずっと先の世界を観て作品作りをしているな」みたいなものが見えてくる。
最近観た映画で言えば「すずめの戸締まり」では、新海誠監督の世界を見る解像度が恐ろしく高いなと思った。ただ風が吹くことも、水が流れることも、太陽が輝くことも、ここまでの解像度で観る事が出来る人がいるのかと。そんなことにも感動した。
ジブリ作品もそうだけど、景色への解像度が高い人が作った作品は往々にして「食事シーンが恐ろしく美味しそう」である…。
宮崎駿監督の作品と他の方が作った作品の大きな違いはこの解像度の違いだと思う。
絵は間違いなくジブリだしきれいなんだけど、ゲド戦記やアリエッティに出てくる食事シーンはそこまで美味しそうじゃない。具体的に何がどう違うかは言葉で表現できないけど、多分解像度の違いなのだ。解像度。
「FIRST SLAM DUNK」も観てきたのだけど、こっちは世界を観る解像度は新海監督ほどではない。が、人を観る解像度がおっそろしく高いと思った。
例えば人が歩く時、決してどの人も同じ歩き方はしない。
歩幅が違ったり、外まただったり、内股だったりする。
肩をいからせて歩く人もいるし、猫背の人もいる。
心の動きや、そのときの動作。
「ああ、この人はもしかして自分が知らないだけで日本の何処かに本当に実在するんじゃないか」と思わせるほど、映像の中にその人が生きている。
そういった、「人」それぞれへの解像度がめちゃくちゃ高い作品だった。
多分こういう見方が出来るようになっているのが、自分自身の解像度が上がった結果だとも思っている。
自分で作れる段階までには至っていないけど、それを確信して「観る」事が出来る段階にまでは登ってこれたような気がする。
今まで薄ぼんやりと流し見していた世界がこんなにおもしろいものだったのかと感動する毎日。解像度が上がった世界はいいぞ。
この解像度が上がるきっかけになったジェスドロを始めるきっかけになったのは「3つ勉」という砂糖ふくろうさんがやっていた講座から。
そしてそれが楽しかったので砂糖ふくろうさんがジェスドロを始めるきっかけをつくった森田唯さんも一緒にやっている「8つ勉」も受講。
文字だけでは足りない、誰かに何か伝えるための絵も描けるようになりたい!という思いで絵の練習を続けている私なのだけど、絵の練習をしながらどんどん学びに貪欲になっている。
シナリオの方も知りたいと思って、今度は小説を読むようになった。
小説を読んだらその構成を知りたくなって構成の方法も読むようになった。
構成がわかるようになったら映像も知りたくなって映画も観るようになった。見ればみるほど観た分野の解像度が上がっていく感覚がある。
でも最近はインプット中心でアウトプットが不足しているので、もっと描いて行きたいと思う。
子どもが冬休みだったこともあって、マンガはなかなか描けなかった。騒がしくて集中出来ないし、ご飯が食べたいだのおやつはまだかだの、作業をブチブチ細かく切られる状況で作品作りは出来ない。。。
そんなわけで冬休みもあけたからアウトプットもしていきたい。
何でこんな記事を書いたかというと、最近受けた講座が素晴らしすぎたからであります。
これは森田唯さんがオススメしていたので受けてみた講座。
砂糖ふくろうさん→森田唯さん→鳥海ひかりさんと順当にバトンを受け継いで講座参加している。
感情を表現するのに、眉と目と口それぞれが示す表情の意味とかいちいち考えたことある?
ただ人が立ってるポーズを描くのに、骨盤や鎖骨がどういう位置関係で立っているかでどう印象が変わるかなんて考えたことある?
自分が描いた絵をシルエットにしたとき、どれだけわかりやすいかとか考えたことある?
言葉で言われれば、ああ、他のお絵かき講座や本でも書いていたね、という内容もあるのだけど、この講座の素晴らしいところはハリウッドで本当に活躍しているこの人が実際に絵を描いて
「これを意識しないで描いた絵がこれ」(それだけでも十分すぎるほど上手い)
「意識して描くとこれ」(その違いに思わず息を飲む)
という、ビフォーアフター込で説明してくれるところなのだ。
「上手いのになんか伝わってこないんだよな」っていう絵って間違いなくあって、それは、本当に些細な違いなんだということを痛感する。
シルエットがわかりづらいことであったり、コントラポストがつまらないものであったり、構図が面白みがないものであったりしたためだったのか、ということが、めちゃくちゃわかりやすく伝わってくる。
伝わる絵を描きたいと思う方は、受講することをオススメしたい。
1月29日までアーカイブ参加出来るので、興味ある人は本当に観てほしい。世界の解像度上げまくってくれる講座だった。
”なんかカッコイイポーズ”には”カッコイイと感じさせる何か”がちゃんと存在していたのだということを知る。
そしてそれを知ってから他の作品を観たり、ジェスドロのモデルさんのポーズを見ると「あああああほんとだ美しいと思うときはちゃんとポイント抑えてるんだああああ」という事がわかって、さらにまた何かを観ることが楽しくて仕方なくなってくる。
何でもそうだ。
文章も、他の仕事もそうだ。
私は昔職人をしていたけど、多分職人さんにもそういう世界は間違いなくある。何度も何度も練習してやっと見える、鋸の引き方みたいな世界もある。
どんな仕事にも解像度はあって、毎日それを意識して学び続けることでその世界の解像度がめっちゃ上がっていく。
それがもう楽しい!
勉強はやらされるものではなく、自ら学びに行くときが一番学べると言うが42歳にしてようやくそれを知ってしまった。くっそう、もっと早く、若いうちに知りたかった。
もう長時間作業したら目がかすむし、腰が痛いし、それでもなお、私は学べる限りは学びたいと思う。
今年一年も学んでいくよ!!!
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