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優しさは、ごめんなさいを重ねあった上に出来ているのかもしれない

今回、ノー友(と呼んでしまってもいいのでしょうか…!?)のおだんごさんがこんな記事を書いていました。

おだんごさんは記事の中で書いています。
この3年、一番口にしているのは謝罪だ、と。

私もつい最近、謝罪することについて思ったことがあったのでこのnoteを書きました。

先日、我が家では全員が陽性反応になり…家族内で日付をずらしながら感染していったことで自宅療養期間がどんどん伸びて、家族全員が暫くの間家から出られませんでした。


療養期間明けにかいたマンガ

別に普段からそこまで人と積極的に交流しにいくタイプでもないし、一日の大半を引きこもって過ごしているくせにこの期間はものすごく寂しかったんです。
だから家族全員の療養期間が明けるその日が嬉しくて嬉しくて。

期間が明けるその日、下の子は少し鼻水が出ていました。
鼻水が喉に落ちてむせる感じでたまに咳き込むこともありました。
まだ小さな娘は、マスクをすぐずらしてしまうし、たれた鼻水を袖で拭ったりするし、鼻を拭いたティッシュをその辺においておいたりしてしまいます。

いくら保健所の許可が降りていても、本人は至って元気に動き回れるとしても、これはもう一日休ませた方がいいだろうか。

そういう想いがよぎったけれど「あと何日寝たら幼稚園に行けるの?」と家から出られない期間、娘が指折り登園再開を楽しみにしているのを私はずっと見ていました。
その日休ませる判断をすると、週末のお休みになってしまい、楽しみにしていた登園日はまた数日後へ遠ざかってしまいます。

私自身も子どもがびっちり家にいる生活から久しぶりに開放されたかったことも気持ちを後押ししました。

…ほぼ鼻水だけだし。
大丈夫だよね。

…周りへのことより私と娘の欲求を満たすために。
私は、その日子どもを幼稚園に行かせる判断をしてしまいました。

そのあと週末の休みに入り、翌週。
同じクラスから陽性者が複数名出たとのこと。

担任の先生が発症したこともあり、すぐにその翌日から学級閉鎖措置になりました。
登園させたあの日に感染して、週末を挟んで数日で発症したと考えると自分の中で計算が合いました。

どうして、あの日、私は娘を幼稚園に行かせたんだろう。
こちらの都合で他のお友達にも、そのご家族にもばらまいてしまったかもしれない。判断が甘すぎた。

そう悔やんでいた数日後、さらに事態は悪化。

園じゅうに感染者は広がり、園閉鎖になり閉鎖期間が伸びました。

あの日私が子どもを幼稚園に行かせていなければ。
閉鎖期間中はずっと、後悔と謝罪の気持ちが頭から離れませんでした。

閉鎖期間が明けて担任の先生に会ったとき私はすぐに謝りました。
謝ったからどうなることでもないけれど、私の判断が甘かったせいでこうなったのかもしれない、特に療養期間あけという時期だったし、少し鼻が出ているぐらいだったとしても休ませるべきだったのだと。

そうしたら担任の先生もまた、自分が陽性になる前日に子どもたちに接してしまった。そのせいでクラス中に感染が拡がってしまったかもしれない、閉鎖は私のせいかもしれない、ご迷惑をかけて申し訳ないと言いました。

その日子どもが持ち帰ったお便りは園長先生からの謝罪文でした。
園閉鎖の判断をしなければならなくなるほど感染を全体に広げてしまったことは自分の判断の甘さだった、もっと早く気づくべきだったと。

この謝罪の連鎖がとても苦しくて切なくて、どこまでいっても謝罪しか無いと思ったら本当に悲しかった。

でも誰一人、私を責める人がいなかった世界は本当に優しいと思いました。
”あなたが子どもを軽率に登園させたせいで”と思ってる人はもしかしていたかもしれない、けれど。

自分を責める私に、話を聞いた誰もが「あなたのせいじゃない」と言いました。私はその世界を信じたいと思いました。

私も、担任の先生が謝った時「先生のせいじゃありません」と言いました。
園長先生のお便りを読んで「園長先生のせいじゃない」と思いました。

謝罪の連鎖はあったかもしれないけれど、叱責の連鎖はない。

誰のせいでもなかった。

それはそれで、充分に優しい世界なんじゃないかと思いました。

悲しい思いを重ねただけ、人は誰かに優しく出来るようになる気がします。

ありがとう。は謝罪と同じ数、私の口から出た言葉だと気付きました。

おだんごさんのnoteより

謝罪の連鎖が起こったとしても、きっとその分同じだけ優しさもつながっていくと信じたいと思います。

今回、疾患から園の閉鎖、さらにおまけに上の子の学級閉鎖まで連鎖してしまい…なんやかんやと病んだことによってちょっとお見苦しい記事を書いたりもしましたが…


今回の出来事をようやく通り過ぎて、なんだか世界の優しさのようなものに少しだけ敏感になれた自分がいます。


まだしばらく、数年前にあった日常は戻ってこないかもしれないけど。

その分、前より少しだけ自分の目に映るようになった優しい世界。

こちらの世界はこの先もずっと、続いていきますようにと願っています。

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