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「性自認(ジェンダーアイデンティティ)」という抑圧

TRAの人とかアライの人って、「性自認」がそのジェンダーのイメージにしっくりと合致してるのかも知れないなぁ、と思ったります。

僕は身体性と性欲以外に自分を男と考える手掛かりがないです。身体性と性欲を除けば「女性ジェンダー」だとすら思います。

ぬいぐるみとかお絵かきとか可愛い小物とか甘いものとか好きで、ご飯とかケーキとかスマホ撮りして、野球とかプラモデルとかミニ四駆とか全然興味なく生きてきました。こんな顔とガタイじゃなきゃ化粧やお洒落してたと思います。

でもね、そんなものは女性としての「リアル」とは全然違いますよね。

生理に苦しんだこともなきゃセクハラや痴漢や女性差別を受けたこともなく、いざとなりゃ威圧的な態度や有害な男らしさを切り札として使える体格と筋力を持ち、男の性欲を男の身体に宿しているのです。

おいそれと「やあやあ我こそは女性でござい」と名乗れるはずもないのです。

小中高大全てで「ホモ疑惑」(ごめんなさい、適切な言葉ではないですが、その差別性も含めて一番ニュアンスが伝わると考え鍵括弧付きで記します)がかかり、現職場でも「女子でしょ」と言われますが、僕はジェンダーは解体すべきものと信じているので

「ははーん、ジェンダーに縛られてやがんなー」と思ってのほほんと生きてきました。

それが、ジェンダーを構築する運動なんてされて、「女性らしいふるまいをする」ことが女性の法的な基準の中心に据えられてしまったら、僕はトランスした方が法的には正しいということになるわけです。だって僕の「性自認」の根拠は身体性と性欲にしかないので、その根拠を法的に崩されたら僕の「性自認」は「ふるまい」に根拠を求めるしかなくなるからです。

解体可能な幻想だと思っていた「ジェンダー」が強化され、法的に具現化されてしまったら、「男性(女性)自認なら男性(女性)らしくふるまえ、さもなくばトランスしろ」という圧力が法的根拠をもって現れるわけです。

ジェンダーの多様性ったって、戸籍の性別欄に「その他」が出来るわけじゃないでしょう?

今現在ある圧力は解体に向かうものだと思って生きてきたのに、実際そういう方向に世界は向かっていると思っていたのに、新たな圧力が法的に作り出されてしまうの、すっごく嫌です。

それにアラフォーになったって自分の「性自認」ってほんと揺れ動きますよ。朝起きて全身の筋肉に力がみなぎってた日には「うおお、ワイは男や…!男やぞワイは…!」と思いますし、別の日にはホモソーシャルな会話について行けず「もうほんと男ムリ」となったりします。

なので僕は自分を男だと認識してるんだけど、全然「男性ジェンダー」なるものにはしっくりとしません。かと言って「女性ジェンダー」にもしっくりしないし、僕が「女性ジェンダー」だと思ってるものは女性のリアルとはかけ離れてると思うんです。

「ああ、Xジェンダーなんですね」じゃなくてね、僕のような、こういう感覚の人間にとって、「性自認で戸籍の性別を決定しましょう」というトランスジェンダリズム、ジェンダー構築運動は抑圧でしかないんですってことを主張したいのです。

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