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生物学的性別(sex)はジェンダー(gender)ではありません

序文


歴史修正主義というものがあります。

歴史学者が証拠となる様々な資料を一つ一つ検証し積み上げてきた議論を無視して、門外漢が「ホロコーストはなかった」だの「学者たちの視点はイデオロギーで歪んでいるので、我が曇りなき眼で見つけた真実はこれだ」的な独自の理論をネットなり自分の本なりで書くアレです。

ジュディス・バトラーの「sexもまたgenderである」を批判するために私はいま本稿を書いていますが、これがジェンダー学に対するある種の「歴史修正主義」ではないかという批判は当然あるでしょう。

しかし、社会運動や政治的活動として歴史や自然科学を論じるべきではない一方で、ジェンダーを論じることは社会運動や政治的活動そのものであり、そこに「門外漢」などないと考えるのが一つあります。

逆に、生物学について全く専門外の人が生物学的性別(sex)の定義を生物学に依らずに書き換えようとすることこそ「歴史修正主義」ではないか、というのが本稿の主題です。

歴史学者が積み上げてきた議論の中で、一つの写真や一人の証言が嘘・捏造であったとしても、それまでの議論や共通理解全てが覆ることはまずありません。

人間の生物学的性別(sex)についての議論も同様です。仮に一つの論文が間違っていたとしても、それまでの共通理解がガラッと姿を変えてしまうことはまずありません。むしろ、間違いを指摘し修正し積み重ねていくことが科学的・学術的姿勢と言えるでしょう。

もしたった一つの論文に対する批判で生物学的性別(sex)の定義づけについての議論全てを転覆できるかのように主張する人がいるならば、その人が生物学に対する「歴史修正主義者」だと疑うべきでしょう。

そしてその転覆・撹乱の目論みが成功するには、逆説的に、批判の対象となる論文が枝葉末節的な論文であっては意味がなく、 生物学的性別(sex)の議論の中で重要な地位を占め続ける必要があるのです…。

では本題に入っていきます。

「ジェンダー・トラブル」による生物学批判


「ジェンダー・トラブル」(1)には、生物学的性別(sex)についてどのように書いてあるのでしょうか。

「ジェンダー・トラブル」ジュディス・バトラー著(竹村和子・訳/青土社)の第3章p192からp198で、ディヴィド・ペイジ博士が『細胞』誌51号に発表した論文について論考しています。
(『細胞』誌とは、生物学・医学に関わる人なら誰もが知るCell誌のことです。)

ペイジ博士の発見した男を決定するDNA域、「TDF(精巣決定因子)」が女の染色体にも存在することがわかり、それに対する回答としてペイジ博士は男の場合はそのDNA域が能動的で、女の場合は消極的だと答えたそうです。

またDNAサンプルとして選ばれたXX男性がみな生殖不能であり(精子を作れない)、男性ホルモンは低レベルであるにもかかわらず外性器と睾丸のために男に分類されていることを指摘し、sexを構成する各部が首尾一貫性を欠いていることがペイジの議論を混乱(トラブル)させていると述べています。

ペイジの研究は女性性が男性性の有無で決定されるか、男の場合は能動的だが女の場合は消極的だと理解されるものにすぎず、女性の遺伝学者が指摘するように卵巣組織の誘導が実際には能動的であるという可能性をまったく考慮していないという背景から、男女の関係的な位置づけやジェンダーの二元関係という文化の前提が、性決定に関する研究を枠づけているとバトラーは結論しています。

そして文化的意味に先立つものとしてsexを確立しようとする生医学の仮説や理論がすでにジェンダー化されているsexの意味づけによってあらかじめ枠づけられていることがわかれば、sexとジェンダーの区分は入り組んだものとなるだろうとしています。

いわゆる「sexもまたgenderである」は、本書のこの部分にその重要な立脚点を置いていると見て良いでしょう。

sexを定義づけようとする生物学の最先端である分子生物学の「発見」すらジェンダーによってあらかじめ枠づけられているのだからsexとgenderの境界は曖昧なものとなる、と論じているのですから。

真の「TDF(精巣決定因子)」の発見


さて、残念なお知らせがあります。

ペイジ博士の発見は、間違いでした。

本稿のために彼の論文を読みましたが本当に緻密に論考を重ねて実験を行いつつも、「ノアの箱舟方式」と表現したりする文学的素養というか茶目っ気のあるエレガントな論文で、非常に説得力がありました(2)。

しかし、ペイジ博士が論文を発表した翌年の1988年にオーストラリア国立大学の大学院生アンドリュー・シンクレアらがNature誌に発表した論文で、ペイジが見つけたDNA域(ZFY)が常染色体上に存在することが示されました。(性分化の決定因子は性染色体だけにあるのでなければ辻褄が合いません。)

その数ヶ月後の別の論文では、ZFYはマウスの精子前駆体で発現するものの精巣の他の細胞には存在しないことがわかり、男の性決定効果を発揮するための真のTDF (精巣決定因子)は別にあることが示唆されました。

そして1990年、シンクレアらは以前に研究されていたよりもさらに小さなY染色体の断片を持つXY男性からのDNAを使用して、Y染色体の末端に近い小さなコーディング遺伝子(SRY)を発見したことを発表しました。  

その後1992年までの複数の論文によって、SRYがTDF (精巣決定因子)であるという最終的な証拠が得られました。XY女性におけるSRY突然変異の発見と、XXマウスにSryを追加することで雄の発育が誘導されることが分かったのです。SRYは他の哺乳類のY染色体にも認められました。

(以上の経緯は文献(3)を参照しました。)

失われた生物学批判の根拠

こうして、バトラーが鋭く批判したペイジの「発見」は幻と消え、分子生物学がsexを定義づける議論の中で、彼の論考が重要な地位を占めることはなくなってしまいました。

ということは、男性への性分化を決定づける因子の分子生物学的な真の発見において、「男の場合はそのDNA域が能動的で、女の場合は消極的」などというジェンダーバイアスにまみれた説明を必要とはせず、XX男性のDNAサンプルを使って「sexを構成する各部が首尾一貫性を欠いて」いることもなくなったのです。

「文化的意味に先立つものとしてsexを確立しようとする生医学の仮説や理論がすでにジェンダー化されているsexの意味づけによってあらかじめ枠づけられて」いないことが明らかとなり、「sexとジェンダーの区分は入り組んだものとなる」とする根拠が失われました。

SRYが発見されたからといって「女性性が男性性の有無で決定される」ことに変わりはないではないか、という反論もあるでしょう。

生物学において、女性への性分化を「能動的に」規定する因子についての探究もなされています。すなわち「卵巣決定因子」を求めた研究です。

これもいくつか候補が現れては消え、現在はRSPO1 / WNT /β-カテニン経路が卵巣分化カスケードの最上部で作用することが明らかになっています(4)。

男性または女性への発達は互いに拮抗的であるとみられ、2段階の重要な遺伝子発現が発達中の性腺を男性または女性へと性分化させます。この際、女性(または男性)遺伝子を発現させれば、男性(または女性)遺伝子は積極的に抑制されるのです(図)。




現在の性分化決定モデル。胚の精巣(上)では、SryはSox9の発現を促進し、それがセルトリー細胞の分化を誘導します。胎児の卵巣(下)では、直接のWNT4 /β-カテニン経路活性化因子であるRSPO1が顆粒膜細胞の分化を調節します。女性遺伝子が抑制され、男性遺伝子が亢進されることで精巣が形成されます。一方、発達中の卵巣では、男性遺伝子が抑制され、女性遺伝子は亢進される必要があります。 
(Anne-Amandine Chassotら,
 Reproduction. 2014 Dec;148(6):R97-110.より引用)

実際、雌マウスのWnt4欠損が部分的な雌から雄への性転換を引き起こすことが確認されています(5)。

というわけで、男性性の有無だけでは女性性は決定されず、「能動的」に女性への性分化が進むこともまた生物学によって明らかとなって来ているのです。

「男女の関係的な位置づけやジェンダーの二元関係という文化の前提が、性決定に関する研究を枠づけて」などいなかったことがご理解いただけましたでしょうか。

生物学に対する「歴史修正主義」


私が本稿で行ったくらいの批判は既にジェンダー学会の中でとっくにされているものと信じたいところです。

「LGBTを読みとく」森山至貴(ちくま新書)p139でも、バトラーの論証プロセスには「いくつかの重大な批判が提起されていることも事実です」とあり(6)、必ずしも共通理解(コンセンサス)には至っていないということでしょう。

とはいえ、バトラーの「ジェンダー・トラブル」における生物学的性別(sex)についての論考が、ジェンダー学の議論の中で重要な地位を失っているとも思えません。

生物学や医学を専門とする人間が畑違いのジェンダー学会にも所属・参加しているというのも想像しにくく、意外に生物学的・医学的観点からの批判はされてこなかったのではないかと考えたりもします。

直接的な批判ではありませんが、昨今の性自認至上主義的な考えの広がりに警鐘を鳴らすかのように、米国内分泌学会は2021年3月11日に基礎および臨床研究においてsexを生物学的変数とすることの重要性について声明文を発表しました。

その中で「sexは脊椎動物の生物学の本質的な部分ですが、genderは人間の現象です。sexはしばしばgenderに影響を与えますが、genderはsexに影響を与えることはできません。動物生理学の研究では、sexを変数と見なす必要があります」と述べられています(7)。

「sexもまたgenderである」という主張は、生物学や医学に対してその枠外から何ら当該の学問的根拠なしに変更を迫る、ある種の「歴史修正主義」であるように思えます。生物学的性別(sex)の定義を書き換える(genderとの線引きをなくす)のならば、生物学的な根拠をもってするべきであり、専門外の人の一冊の本を根拠にすべきではありません。

結語


sexを研究する生物学の議論の積み重ねを、たった一本の論文を批判して否定しようとする試みは、以上のように破綻しています。生物学的性別(sex)はジェンダー(gender)ではありません。

2021.12.03

※ noteでは斜体やイタリック体を使えないようなので、遺伝子の記述としてやや不正確である点ご容赦ください。

参考文献


1)「ジェンダー・トラブル」ジュディス・バトラー著(竹村和子・訳/青土社)
2)Page DC, et al. The sex-determining region of the human Y chromosome encodes a finger protein. Cell. 1987 Dec 24;51(6):1091-104. doi: 10.1016/0092-8674(87)90595-2. PMID: 3690661.
3)Graves, J. Twenty-five years of the sex-determining gene. Nature 528, 343–344 (2015). https://doi.org/10.1038/528343a
4)Anne-Amandine Chassot, et al. R-spondin1, WNT4, and the CTNNB1 signaling pathway: strict control over ovarian differentiation.  Reproduction. 2014 Dec;148(6):R97-110. doi: 10.1530/REP-14-0177. Epub 2014 Sep 3. PMID: 25187620.
https://rep.bioscientifica.com/view/journals/rep/148/6/R97.xml
5)Mamsen, L.S., Ernst, E.H., Borup, R. et al. Temporal expression pattern of genes during the period of sex differentiation in human embryonic gonads. Sci Rep 7, 15961 (2017). https://doi.org/10.1038/s41598-017-15931-3
6)「LGBTを読みとく」森山至貴・著(ちくま新書)
7)“Sex is an essential part of vertebrate biology, but gender is a human phenomenon; sex often influences gender, but gender cannot influence sex. Studies of animal physiology must consider sex as a variable.”
Aditi Bhargava, et al. Considering Sex as a Biological Variable in Basic and Clinical Studies: An Endocrine Society Scientific Statement, Endocrine Reviews, Volume 42, Issue 3, June 2021, Pages 219–258, https://doi.org/10.1210/endrev/bnaa034

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