平成30年度 熊本大学文学部小論文 模範解答例

問題は熊本大学のホームページ、もしくは東進過去問データデースにて閲覧可能です。

模範解答は2パターン作っています。

①読書の重要性を具体例から補完するタイプ←多分こっちが思いつきやすい

②筆者の語る読書の重要性を客観的に分析するタイプ

模範解答1(読書の重要性を具体例から補完するタイプ)

 私たちは一見共通の世界を生きているように見えて、実は1人ひとりが言葉によって作り出された内なる世界を生きている。本は他者の世界像の塊であり、そこに紡がれた言葉を通して私たちの世界像は書き換えられる。言葉を通して自己を変容させ、それを可能にする重要な機会を与える点で、筆者が読書を特別視していると考えられる。
 以上のような筆者の考えに賛成する。読書は自己を書き換え、変容させ、成長させることができる貴重な機会だ。私自身、幼い頃から多くの本に出会い、たくさんの感動や興奮をもらい、読書を楽しんできた。しかし、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』という本との出会いは、それまでの楽しみだけでなく、私に大きな衝撃を与え、私の価値観に強く影響を及ぼしている。
 舞台は近未来。人間は火星にも住み着き、文明が発展した社会で、ひと目では人間と見分けのつかないほど高性能で精巧なアンドロイドは、奴隷として働かされていた。主人公は、奴隷から逃れたアンドロイドを捕まえる警察官であり、作中でいくつかのアンドロイドを破壊することになる。歌手や上司、主人公にとって身近であり社会に溶け込んでいるアンドロイドを破壊する度に、警察官としての職務への責任とアンドロイドを破壊するという行為の正しさへの疑問の板挟みになる主人公の苦悩に、私は深く考えさせられた。正しさ、正義。それまでなんとなくしか考えていなかった概念について深く考えさせられ、とてつもなく大きな倫理的な命題を初めて突きつけられた瞬間であった。同時に、様々な事柄には倫理的な問題が付きまとい、そこにはそれぞれの立場の正義があり、それは簡単に断罪できないほど複雑であることを学んだ。
 私は高校で生徒会長をしている。様々な行事の中心的な役割として動き、人前で話をする機会も多い。行事や発言の機会をもらうたび、自分とは違う立場の人たちのことをいつも考えるようにしている。私の思う正しさと、相手の考える正しさはいつも同じではないし、どちらが正しいかも簡単には割り切れるものではない。だから、いつも相手の行動や発言に対して、それを突き動かしている正しさとは何かを考えるようにしている。このような考え方ができるようになったのは、間違いなく一冊の本との出会いがきっかけだ。
 以上のように、本を通して私は成長することができたと実感している。だからこそ、筆者の主張するように本は楽しみ以上の特別な存在だという考えに賛同する。これからも素晴らしい本に出会い、成長していきたい。


模範解答2(筆者の語る読書の重要性を客観的に分析するタイプ)

 私たちは一見共通の世界を生きているように見えて、実は1人ひとりが言葉によって作り出された内なる世界を生きている。本は他者の世界像の塊であり、そこに紡がれた言葉を通して私たちの世界像は書き換えられる。言葉を通して自己を変容させ、それを可能にする重要な機会を与える点で、筆者が読書を特別視していると考えられる。
 以上のような筆者の考えに賛成する。ただし、筆者が考える読書や本といったものの定義づけに対しては指摘を加えたい。
現代は急速なデジタル化によって、様々なデバイスで、様々な種類の文章を読めるようになっている。筆者の主張はこのような今日的な状況を想定したものではなく、本として製本されたものを、製本されうるに値する文章を読む行為を読書と定義づけているように思える。この部分にこだわるのは、現代ではあまりにも誰でも、簡単に、素早く他者の書いた文章にアクセスできる状況にあるからである。
 現代社会では、紙の本だけではなく、スマートフォンやタブレット、パソコンなど様々なデバイスで文章にアクセスが可能である。また、発信される文章も、いわゆる本だけでなく、SNSやまとめサイトなど様々な発信元から受け取ることができる。筆者の言葉を借りれば、簡単に他者の世界像にアクセスできる状況にあると言える。良い方向に自己を変容させる機会をより多く与えられているという意味では歓迎すべきだが、必ずしもそれだけとも言えない。
 ネット上には多くの悪意ある文章や誤った情報の載っている文章が流布している。筆者の主張するように、他者の世界観を通して自己を書き換えていくとするならば、このような悪意や虚偽にも触れる機会が増えてしまい、私たちの世界観に悪影響を及ぼすと考えられる。このように、現代では他者の世界像との接点が多く、自己の世界が広がるという良い側面があるが、反面、それが必ずしも良い影響だけではない点も指摘しておきたい。
 現代は情報社会と言われるが、今後もその傾向はますます加速していく一方であろう。そのような時代の中で、言葉を通して他者の世界像と出会い、自己を書き換えるということに対して、私たちはもっと真剣に考える必要性がある。安易に刺激的な言葉に踊らされることなく、その言葉で紡がれた他者の世界像に対して、今まで以上に本気で向き合わなければならないだろう。そして、向き合うに値する本に出会い、自己を書き換え、成長していきたい。

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