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日常が非日常、という話

多分私は普通の生活リズムとは程遠い生活をしている。多分。
そもそもルーティンワークではないし。
月〜金働いて土日休み、とか、全くそういう感じではない。
次の日の予定がほぼ予測がつかない、そんなレベル。
1週間ごとぐらいにある程度のスケジュールの予測はつくけど、突然仕事になったりならなかったり。
一か月二ヶ月お休みがない事もザラだし、深夜1時に帰宅して朝4時に家を出たりとかも良くあるし、逆に夜に稽古がひとつだけあるとかもあるし、
朝は神戸にいるけど昼は大阪、夜は京都とか、ものすごい一日の移動距離が長かったりも良くある。

とにかくスケジュールの予測がつかない。
そんな生活をかなり長いことしてるので慣れたもんだけど、明日自分がどこで何やってるのか把握しきれてないので、スケジュール帳は必須だ。
スケジュール帳を見ながら「何日にコレしないといけないから何日までには完成させる」とかのスケジュールを立てる。スケジュールをこなすためにスケジュール立てが必要なのだ(これは会社勤めの人ならやってる人も多いと思うけど)

ちなみにスケジュール帳に細かいことを記入し、スマホのスケジュールアプリで大枠を管理している。
スケジュール帳は1時間単位で書き込めるバーチカルタイプのものを愛用している。そうじゃなきゃとてもじゃないけど管理しきれないのだ。マンスリーだけではどうにもならない。

そんなスケジュールで生きていると、どれだけ好きな事を仕事にしていようが、息が詰まる。
なんにも考えずぼやっとする時間が欲しい。
これやったらアレやって、アレおわったらこの人に連絡して、それ終わったら企画進めて…って毎日毎日脳みそフル回転だ。休日がないので毎日頭ぐりんぐりん。

なのでたまに1週間ぐらい「静養」する。
ちなみに今、静養中です。
「なんにもしない」のは現実的に無理なので、ある程度仕事をこなす時間は毎日必要だけれど、

ぼんやり長風呂して、自分のために食べたい物をつくって、ご飯食べることだけに集中して(だいたいいつもなにか作業しながらご飯食べてる。行儀悪いけど、ご飯中も移動中も作業時間に当てないと間に合わない事も多いから)、こたつでぼんやりYouTubeみたり映像見たり、自分のためだけに時間をつかう。

私にとって「普通の生活」をすることは非日常なのだと思う。
「普通の生活」をすると、なんだか生き返った気持ちになる。私も普通の人間やん…となる。
特別な人間でもなんでもないけど、あー私も人間だったわー休み必要だわーと感じるというか。良くも悪くもいつもフルスロットルなのでいつもいっぱいいっぱいなのだ。だからと言って容量のいい人間でもないので、いつもバタバタあばれている。

バタバタしなくていいのは楽ですね(当たり前か)
あと数日静養できそうなのでゆっくりします。
4月入ったら、今年いっぱいはずーっと忙しいので、体調に気をつけて頑張らなきゃ。

誕生日に友人から、「我々も築31年の物件なんだからあちこちガタがきて当然!メンテナンスきっちりしてこうぜ」的なメッセージがきて笑いました。誰が上手いこと言えと。
まあ間違いなく20代前半の頃すごい無茶しててあちこち悪いところあるので笑、自分を労わりながら頑張ろーっと!

皆さんも体調には気をつけて、一緒に頑張りましょーね。


◆編集後記◆
気持ちだけはいつも元気です!!
気持ちの入れ物である体のこと、もっと大事にしてやらんとなぁ。

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