見出し画像

かなりあつい

 どうも、大学を卒業しました。もう2ヶ月前くらいになりますね。あつい、夏だ。
 就職活動は殆ど何もしてなかったから当然ニート。無職。最低。
 この2ヶ月は、自分探しって言うんですかね。言いたくないですがね。
 まずはじめの方は神奈川に就職した友人を訪ねに夜行バスで行ったものの、何も行くことを伝えていなかったので来ちゃダメだと告げられた。その日まで何かよく分かんないけれど、夢を叶えようと二人で話して、居候させてくれ、と僕が頼んで、なんかOKっぽい雰囲気があったから何も言わずにそこへ向かったんだよね。まぁ、無理かぁ、としんどくなった。夜行バスを予約して、それから相手に行くことを伝えたわけで、キャンセル料金を払うなんて勿体無いって思っちゃったわけ。親にバス乗り場まで連れてってもらって、もう数年に一回くらいしか会わないんだろうなぁ〜って感慨深くなってたのに転落。親には友人に来ちゃダメだって言われたことを伝えることはしなかった。親は僕が旅立っていく姿を写真に収めた。その時の僕の頭の中は、やべぇ〜って、ただそれだけ。
 横浜に着いた僕は5時間くらい空港の待合室で座っていた。重たいキャリーケースの上に足を乗せて寛いでいた。朝5時くらいから段々と人が増えて来た。こいつらは目的地があって、仕事や観光があって、いいなぁ、って眺めてた。
 12時頃に個室ビデオの店に入った。そこではアダルトなビデオが沢山あった。普通の映画はアダルトなビデオの敷地面数の8分の1くらいだったかな。結構少なかった。僕はジブリのBlu-rayを取って入室。その時に店員に手のひらサイズにゴムと、コンドームにローションを渡された。一応ありがとうございますとは言ったけれど、要らないなぁって思った。
 『ハウルの動く城』をうとうとしながらみていた。あぁ、家に帰りたいなぁ、金ローで家族と団欒でみたら、あったかいなぁ、って既にホームシック。思い立ったら即行動。帰りの夜行バスを予約した。笑える。
 友達との合流は叶わぬまま、帰宅することにした。神奈川を一切観光しないまま、個室ビデオ店で寝たりシャワーを浴びたりして過ごした。
 店員にもらったごつごつした手のひらサイズのゴムを陰部に差し込んだ。なんて希望。生きてぇよぉ〜、と擦るが、陰部とくっついて動くものだから気持ちよさなどなかった。貰った潤滑油を入れる。するする、とピストンができる。うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお! 生きる生きる生きる生きる生きる! 楽しい楽しい楽しい楽しい! 明日も楽しいからきっと!!!
 願いを込めた一撃を、横浜の一室で放出した。
 もう一度シャワーを浴びに行き、そして眠った。
 目覚ましが鳴ると、すぐに立ち上がり、忘れ物が無いかを入念に確認して横浜を後にした。
 
 とんぼ返り。
 地元に数駅で帰れる場所に降ろされる。
 このまま帰っても、2日半程しか外出をしていない状態で帰ってしまうわけで、そんなみっともない姿を見せるわけにはいかないと思い、1週間は帰らないぞ、と決意する(もうすでに十分みっともない)。
 ぱんぱんに詰め込んだキャリーケースに大きなリュック。
 引き摺りながら海辺に近い図書館まで歩いた。図書館を挟んだ一つ先にコンビニがあったから2リットルの水とホットスナック、乳飲料、ささみを買ってキャリーケースの上で食べた。
 図書館は小さくって、読みたいなって思える本が余りなかった。メジャーな小説家の本1冊手に取り、渋々読む。産まれてから両親が死ぬまでを書いていた。それが今の僕にはクリーンヒット。淡々と書かれるものだから悲しみというよりは、親の価値ってものがなんとなく、0.1%くらいは分かったような気がした。
 図書館に入る前に友人に泊めてくれと連絡をしていた。明日ならいいよ、と返事があったので、今晩はカラオケに泊まることにした。結構歩かねばならない。
 何度も立ち止まっては水を飲んだ。軽く雨も降っていた。傘をさしながらだとフラついてしょうがなかった。元々僕は非力な方だったからしょうがない。
 しょうがないのだ。長く歩いたと思ったが、せいぜい2、3キロくらいしか歩いていない。荷物のせいだ。椅子になって支えてくれるし、リュックは枕にもなってくれる。味方なのに、しんどい。
 カラオケに辿り着くも、カウンターまで結構な階段があった。試練だ。力を込めてキャリーケースを持ち上げた。
 海で遭難した時に救助船がやっと来たと思い安心したら力が抜けて沈んでいったような話があったなぁって今になって連想する。
 
 案内された部屋で、キャリーケースに入れていたナッツを食べた。コンビニで買った昼ごはんと、晩御飯はナッツ。カラオケはジュースを幾らでも飲んでいいのでオアシス。
 歌って叫んで疲れて眠った。

 次の日は夜まで友人は仕事があるからそれまで時間を潰さなければならなかった。朝の5時に退店だった。商店街のベンチで休憩。10時頃になるとまたも図書館。次はもう少し大きい図書館に行った。
 そしたら大学生の時に途中まで読んでいた本があったからそれを読んだ。最後まで読めなかったが面白かった。
 友人が駅まで車で迎えに来てくれた。乗り込んで向かう。
 ワンルームにロフト。立地はかなりいい場所にあるから、悪くない。狭いとも特に思うことはなかった。1日666円プラス光熱費で泊まらせてくれる。悪くない条件だった。けれど無職の僕には痛い出費。バイトで貯めていた貯金を切り崩す生活。未来はないなと思ったが、働く気はしなかった。その日は久しぶりに安心して寝れた。
 
 次の日友人は仕事が休みだったからドライブに行くことにした。僕が行きたいと言った場所を快諾してくれて出発。天気は快晴フレアフレア。季節の変わり目くらいで少し肌寒いくらいだったがジャケット1枚で十分だった。
 海鮮の定食を食べて、その後も食べ歩き。友人は胃がちっさくなったんだよなぁ、と焼きたての大きなせんべいを両手で持ちおじさんみたいなことを言う。半分くらい分けてもらう。
 大きな公園ではバザールやら露天が出ていた。お花見をしている人も大勢いた。バトミントンの羽やフリスビーがあちこち飛んでいる。
 階段を登って城の前まで来た。バザールなどをしていた公園を眺める。
 帰ろうか、と友人に言って駐車場に向かう。途中にあった木に僕は何故だか登った。あったかい。春が来たんだ。

 友人はトイレに行きたいと途中にあった図書館に寄った。冗談ではなく、本当にあった。
 僕は友人は出てくるまでブルーノートの歴史の本を読んでいた。カッコいい。黒人の音楽って、いいよね。創設者の純粋に求める音楽と僕の人生を照らし合わせて胸が熱くなった。あついあつい。
 出てきた友人に僕が今まであった出来事を熱く語った。馬鹿にすることなく彼は聞いてくれた。また僕は熱く、嬉しくなった。
 本当にあったかい。この街から旅立とうと、もう一度決意した。
 友人には直接的なお礼を言うことができなかった。「もし僕が有名になってインタビューされるようなことがあれば、お前のことも言うよ」と言ったら、彼は笑って「ありがとう」と言った。本来僕が言うはずの言葉だ。僕の言葉には神奈川にいる友人の恨みとかプライドが含まれていただろうに、彼の純粋な言葉にまたあつくなった。
 次の日は朝から図書館に行った。夜になると、友人は駅まで送ってくれて、駅には母親が車で迎えに来てくれた。なんて甘ったれな奴なんだろう、僕は。
 母親は特に僕に何かを言うわけではなく、父も関東の水は合わなかったか、と言うだけだ。親のありがたさを数日で味わうことになるとは。早く夢を叶える兼、職を探さねば。
 
 次の日、またしても図書館に行った。読み終えていない本がそこにあったから。
 
 

——————————————————————

 木に登った時の写真です。よく擬態できていますね。子供の頃はよく登っていました。一生忘れない思い出の一つです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?