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義母の生霊と闘う話②

第一話はこちら▽

黒いドロドロと黒いモヤモヤ

『…もうひとり居ます!』
義母の生霊の他にまだもうひとり憑いているだなんて!
私はどれだけ人の恨みを買って生きているのだろう。

『安藤さんには黒いドロドロと黒いモヤモヤが憑いていて、はじめはひとりだと思ってたんですけど…よく見たら二人でした。
…安藤さんってお義父さんとは仲良かったですか?』
「お義父さんとは仲良くできてたと思います…」
そう。私はお義父さんとはそれなりに仲が良かった。

義理の両親とは一時期同居していた。
同居を始めて2年目の夏、義父が出先で熱中症で倒れ搬送されるという事件があり、それ以降義母の義父に対する束縛が異様に強くなっていったのを私は間近で見てきた。
外出を厳しく制限されていた義父は義母が外出した隙に私にだけ行き先をコソッと告げて短い外出を楽しんでいた。
たった一時間ほど。それでも本当に楽しかったようで、どこそこに行ったとか、何を買ったとか、耳打ちのように私に報告してはニコニコしてくれていた思い出が蘇る。

それなのに。あの義父まで私を恨んでいたというのか。
愛さんに話しながら虚しいような悲しいような感情が押し寄せる。
『お話を聞いて、確信しました。モヤモヤの方はお義父さんですね。足にしがみついて行かないで、って言ってます。名残惜しい、あのときの楽しさをもう一度感じたい、そんな気持ちが積もり積もってどうして置いていくの?っていう、恨みというか…そういう気持ちを飛ばしてしまったのかなって』

恨まれて当然

『行かないで』
そりゃ思うだろうな、と思った。
義父は熱中症事件以降みるみる動けなくなり、再度病院にかかったところ、とある病気が見つかった。
いわゆる難病というやつで、うまく付き合っていくしかないらしい。
熱中症の後遺症のようなものを引きずっていると思っていた私たちにとって、これは非常にショックな出来事だった。
特に義母はうろたえてしまったのだろう。
心のバランスがガラガラと崩れていき…

ここから先の同居生活はまさに地獄絵図。

私の人生上もっともつらかった生活の記憶ランキング最上位クラスのつらい日々が続いた。
本当に。
本当に色々あって。
この家の一人息子である私の夫はまず私と娘を逃がしたのち、同居解消を宣言。
義母に居場所を特定されないよう引っ越しを繰り返した。

思うように動けない義父を、心を病んだ義母のもとに置いていくのは心苦しかったが、もう限界だった。
きっとあれから義父は義母のサンドバッグとして過ごしていたに違いない。
もしかしたら。義母だけでなく義父からも私は家族をおかしくした悪魔そのものだと思われていたかもしれない。
それでもあれほどに変わり果てた義母と一緒には暮らせない。その気持ちは今も変わらないままだ。
パワータイプアッパー系メンヘラと化した義母は、とにかく強かった。

でも。お義父さんには、ただただ申し訳なかった。
義母を医療につなぐこともできず(本人の拒否が強いと治療は受けさせられないという大原則は精神科医療にもバッチリ適用される)、義父を家から逃がすこともできなかった己の無力さを悔いた。
年老いた病んだ二人を置いて逃げてしまった私。
恨まれて当然だ。

『実はずっとヒーリングを送らせてもらってまして。モヤモヤの方はもうほぼ祓えてます』
逃げてきてしまった私には後悔がたくさんあるけれど。
ここで申し訳ないと想い続けると、きっとまた義父の生霊は戻ってきてしまうんだろう。
せっかく祓ってもらったんだ。心を強く持て!私!
「ごめんねお義父さん。だけど、さよなら」
心のなかでそう伝えて、自分の中に区切りをつけた。
しっかりお別れを言うことなく逃げてきた私は、このときなんとなくスッキリした気持ちになったのだった。

この5日後、何が起きるのかも知らずに。

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